2011年12月15日

ESA@厦門大学で学会発表しました

中国アモイで開催されたESAのアジア太平洋大会で発表して来ました。
「自強不息 上於至善」の碑
同様のものが学内に複数ありました
 今回は、2011年2月に実施した時間選好に関する実験の結果を発表・宣伝してきました。時間割引関数をグラフに描くと、それが逆S字型になることを検証した実験です。
 会場は、厦門大学。厦門市は、台湾のちょうど向かい側で、成田からも直行便があって、約4時間の距離です。厦門大学キャンパスの真ん中には、大きな池があって、そのほとりでは、たくさんの学生さんたちが英語の音読練習をしていました。英語シャドウイングの学生さんたちのすぐ近くにあるのが、「自強不息 上於至善」のスローガン。大学の正門前にはマクドナルドがあるのだけど、スローガンをみると、ああ、共産圏にきたのだと実感しますね。
 
ここは、実験経済学に重点をおいているらしく、実験室を新しくつくって経済実験の研究をサポートしています。私はこの学会でプログラム委員でもあったので、次回のアジア太平洋大会の算段をつけてきました。東京で2013年2月に開催予定と決まりました。ほんとは、この2012年大会を東京で開催することを検討していたのですが、原発の状況も全く先が読めなかったので、東京開催は諦めていたところでした。次は大丈夫であることを願います。

2011年12月10日

行動経済学会に息子と。討論・座長・理事会。

第5回行動経済学会に3歳息子といってきました。翌週に中国出張があり、妻に新生児と子どもだけを残しておくわけにいかず、今回は同伴。会場の関西学院大学までシッターさんに来てもらい、会期中2日間は、休憩室やキャンパスで遊んでもらいました。

私は発表はしなかったのですが、討論・座長・理事、といった役を果たしました。今年度、行動経済学会の理事会メンバーになりまして、どうぞよろしくお願いいたします。

ちょうど息子が『大阪うまいもんの歌』を覚えたので、歌詞に登場する名所を見せてあげました。「♪ 大阪にはうまいもん、いっぱいあるんやで~。か~に道楽、くいだおれ~、吉本新喜劇~(なんでやねん!)♪」を見せてあげようと、行ってきました。くいだおれ人形に抱きつき、かに道楽にも納得。吉本は観られなかったのですが、吉本スクールの若い人達が忘年会お笑いをしていたので、それを見学。雰囲気がやっぱり面白かったようで、満足気に見ていました。ありがとう、大阪。新幹線にのって10時前には帰宅。

2011年11月21日

HQ 一橋の授業

HQという一橋大学の広報誌が「一橋の授業」を連載していて、今回は経済学部の講義を7ページにわたって紹介。そのうち半ページで私の「基礎ミクロ経済学」を載せてもらいました。



「ミクロ経済学とは、個人や企業などの主体がどのように経済的意思決定をするのか分析する学問です。20歳の学生のみなさんにそれを実感してもらいたい」(竹内准教授)

だから、講義ではさまざまなエピソードが登場する。

2011年10月30日

日独先端科学シンポジウムで講演

第8回「日独先端科学シンポジウム」がホテルニューオータニで開催され、私は社会科学分野の日本側スピーカーとして講演しました。

ドイツ・フンボルト財団と日本学術振興会の共催で、毎年開かれているもの。開催地は日独交互で、今年は日本で開催されました。ドイツ大使館でレセプションや、浅草観光と、ソーシャルイベントもしっかりあって若手科学者の交流を目的としているようです。
3日間午前午後の終日開催で、6つの合同セッションがもたれました。分野は、物理・化学・生物学・地球科学・計算機・社会科学とあるようです。私は社会科学分野の日本側スピーカーとして「時間選好」の概念と、最近発見した「未来バイアス」について話しました。

ふだん聴くことのないいわゆる"理系"の研究成果や発表に触れられたことが一番の勉強になりました。統制実験をしない・できないで発展してきた経済学の特異性も改めて実感。理系プレゼンから学ぶも多かったです。

妻が第2子出産直後だったので、3歳息子をおいていけず、初日レセプション・浅草観光・最終日ディナーには息子を連れて行きました(他の時間帯にはシッターさんに来てもらいました)。ランチには帰宅して新生児を沐浴したりと大忙しでしたが、ニューオータニの日本庭園を見渡すラウンジでの朝食はすばらしかったです。息子が指さしているのは、色鮮やかな大きな鯉たち。戦国時代の加藤清正が造り、江戸時代は井伊家、維新後は伏見宮家と引き継がれてきた庭園だそうです。

2011年6月6日

日経ビジネスオンライン 年齢別選挙区について書きました

気鋭の論点に、世代間不公平と選挙制度について書きました。

「世代会計」は、各世代が生涯にわたってどれだけの税金を支払い、どれだけの便益を政府から受けたかを計算しています。それによれば:
今の60代は差し引きで約1600万円分の純受益があった計算。それに対し、今の30代が生涯に受ける便益を計算すると、実に約1700万円のマイナス(支払い超過)です。これから生まれてくる将来世代は多大な国債が残されるので、生涯で約4500万円分の借金返済に追われるといわれます。

日本の子どもの7人に1人は貧困状態にあり、実は、OECD30カ国のなかでも子どもの貧困率は12番目に高いのです。月額13000円程度の子ども手当はバラマキだと批判される一方で、「世代間の助け合い」という美名のもと、賦課方式の年金制度は高齢者への多額のバラマキを続けています。そのツケは現役世代が負うにもかかわらず。なぜ、このように歪むのかといえば、選挙制度と人口構成が歪んでいるからでしょう。

育児支援や教育は社会にとって極めて重要な投資ですが、その社会の意思決定が高齢者寄りになってしまった結果、少子化対策は完全に手遅れとなりました。第2次ベビーブーマーたちが30代後半となりましたが、第3次ベビーブームは全く起きませんでした。もはや、選挙制度に手をつけるほかないのでしょうか? つづきは→ http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110531/220334/



2011年4月14日

准教授になりました

准教授(大学院経済学研究科)に昇任させる
教育職○級○○号棒とする
任期の定めのない職員となった


しっかりがんばります。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2011年2月24日

「耐震マンションを評価する人はどこを見ているか」

一橋大学政策フォーラム『等身大の人間行動を考えた地震リスクマネジメントのすすめ』(会場:東京国際フォーラム)に登壇させていただきました。

コーディネーターは齊藤誠教授。中川雅之教授、佐藤主光教授につづいて、発表させていただきました。「耐震性と居住性のトレードオフについて」というタイトルで、“日々の住み心地は、まさかの時の安全に優先されているのでしょうか? 最新鋭の実験機器(アイトラッカー)で快適さと安全性の間で揺れ動く心の内をそっとのぞいてみます。”というリードをつけていただきました。

報告として日経新聞夕刊に全面広告をだしています(5月23日)。

2011年1月31日

日経ビジネス「気鋭の論点 マンションと行動経済学-耐震性に付加価値あり」

日経ビジネス2011年1月31日号の「気鋭の論点」というコラムで「マンションと行動経済学-耐震性に付加価値あり」を書かせていただきました。

人の視線(どこを見ているか)を計測する装置を使ってみました。人の選択結果・行動を観察するだけではわかりにくいのが、意思決定プロセス:どうしてそういう選択をするに至ったのか、です。それでも、視線というのは、そうした意思決定プロセスとは切ってもきれない関係にあります。好きなものを見続けてしまうだけでなく、見続けたものを好きになってしまうという関係も知られています。そうした知見を、耐震マンションの評価に応用してみました。


2011年1月9日

「自主的に取り組めない」大学生たち

今の学生をみていて、つくづく納得。以下の文章は、雑誌記事や書籍からの引用です。それぞれ、いつ頃に発表されたものだと思いますか。(解答は最下部・コメントにあります)


Q1: 受験技術の勉強の結果、大学での学問にむかない頭脳構造ができてしまうことは、よくいわれることだ。「与えられたことはやるが、自発的に勉強できない」「自分で考えるクセがついていない」「新しいことにとびついていく気力がなくなっている」。こうした批判は、いたるところで出される。

Q2: 東大法学部のある教授の話だが、学生のあいだで大教室での多人数講義への不満の声が高いので少人数講義を一部設けたら、開講後しばらくして多人数講義のほうへ流れた学生が少なくなかったという。多人数講義のほうは、種々の学説を解説し、段階づけ、序論-結論まで全部"教えてもらえる"が、少人数では、問題を提示され、自分で考えるように仕向けられるので、答えがハッキリ出してもらえず、それが"不安だ"というのである。

Q3: 学生の自主性を尊重してきた●●大学は、近頃の学生は無気力で、無神経で、大学が今まで学生に与えてきた自由をもてあましていることを発見した。学生にいろんなクラブ活動を組織するようにまかせれば、クラブ活動はぜんぜん実現しないし、学生は大して興味をもっていないので、今まで学生の興味の方向に沿ってきめられていた履修課程も、今では通用しなくなった。…このような現象を、…世論は、教育者が「きびしくない」ためだときめつけた。

Q4: この10年近く、ゼミナールで大学問題を取り上げている。「4年生に、卒業の間際、感想文を書かせているんです。すると、なんのために大学に在籍していたのかよくわからんというものがだんだん多くなってきている。そのくせ、ゼミにはちゃんと出ているんだが。そして、彼らの行き先は、ほとんどねばりと才覚があればといわれるセールスなんだ。暴論かも知れないが、そんな学生にまともに価値論の講義をする気になれない」

Q5: 人間関係での相手と同化することも、絶対でなくなった。深い次元での交際は、互いに傷つく可能性がある。豊かな物質に恵まれ、好んで緊張や葛藤を味う必要がない時代である。それを人間関係でわざわざ味うのは愚かというものだろう。... おとなしいが、さっぱり熱気が感じられない、言えばやるが、黙っていると、ちっとも進んではしない、という若者評

Q6: これからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性である...。


Q1の解答:1967年。『朝日ジャーナル』1967年4月9日号掲載の宇佐美承「大学生の大量留年はなぜ起きる?」 当時の20歳は、2011年にはもう64歳!  つづきはコメント欄です


「自主性のない若者たち」は、いつの時代にも、形をかえて主張されてきたようです。そして、2010年代でも、「ゆとり世代はだめだ」といわれるでしょう。しかし、それは、大人側の言い訳。どの時代の年長者にも、「若者はやる気がない」と見えるようです。「ゆとりだから、どうしようもない」は無責任かもしれません。きちんと責任をもって教育しなくてはいけません。そして、ゆとり世代当事者(若者)たちの言い訳にもなります。「どうせ、おれらゆとり世代だから」などという甘えはやめてもらいたいです。