東村山の「国立ハンセン病資料館」に、ゼミ4年と行きました。とても有意義な学びがあった。
「らい病」に対する過酷な差別は、20世紀の日本では国家政策になりました。「10年で全患者を強制収容して、次の10年で収容所で死んでもらう」つもりの政策で、病気の撲滅ではなく、数万人の患者の撲滅が図られたとのこと。
手錠をかけて貨車で運ぶだとか、「窓のない黒い自動車がやってきて、泣き叫ぶ母をそこへ押し込んで、それで連れ去った」などしてまで強制収容した例もある。
資料館は、収容施設跡にたっており、その納骨堂には「一度収容された者は二度と社会の土を踏むことができず、家族との絆も絶たれ、死後ふるさとに骨を埋めることさえ出来なかった」と刻まれていました。いまは4千人以上の遺骨が納められているそうです。
病気とは関係のない、断種・中絶手術も半ば強制された。収容所に暮らした女性の証言で、「妊娠が判って婦人科の診察に行きました。すると、『来週の何曜日に堕ろしますから、ご主人の許可をもらってきて下さい』と言われました」と言われたと。治療法もすでに確立していた1970年のこと。
こちらのURLリンクでも証言読めます。
https://www.jsds.org/jsds2008/2008html/s_sugino.htm
男性も夫婦になるには断種手術が迫られました。局部を切開し管を切る。[強制収容や劣悪な処遇など]他のことは許せても、断種手術をされたことだけは、あの屈辱だけは絶対に許せない、と映像資料で語る、元患者の男性。外出もできない不自由な生活が一生続く。
「国立ハンセン病資料館」は、かつての収容施設(現:国立療養所 多磨全生園)に隣接しています。団体見学を予約すれば映像資料が見られますので、ぜひそちらを視聴してから展示をみるほうがよいでしょう。(各地に13の国立療養所があります)
社会での理不尽な差別や敵意をむき出した攻撃も酷かった。
多磨全生園園長の言葉に、「当園に隣接して国立ハンセン病資料館もありますので、こちらにも足を運んで下さい。私たちが陥りやすい過ち、そして守られるべき人権、多様性を受け入れる寛容な心、などなどを考えさせる時間となることでしょう。」とあり、本当にそのとおりです。
園長の言葉にもある「過ち」。人類はこれまでに、数えきれない過ちをおかし、人を殺し傷つけてきました。そうした過ちは、後世に「理不尽に長年苦しんだ人たちがいた」とだけ触れられます。そもそも、記憶さえされないもののほうが多いかもしれませんね。ただ、そのひとつひとつには、語りつくせぬ塗炭の苦しみがあり、いまを生きる私たち人類の、いわば「業」の深さを感じます。
人権や平和についての「過ち」を示す資料をみる(見せられる)のを嫌がる人もいるでしょう。でも、わざわざ神妙な顔をしたり、教訓じみたことを口にしたりしなくてよいのです。だって、日常茶飯事だから。その程度で動揺しないことですよ。
過去に酷い「過ち」を主導した人もいたし、傍観した人もたくさんいました。私たちが年老いて死ぬときに「過ちをおかしただろうか」と自問し、大丈夫なはずだと安心して自答したいものです。そのためにも、過去の過ちや、それがもたらした痛みを知っておくべきでしょう。
繰り返す過ちの その度 人はただ青い空の青さを知る