2011年1月31日

日経ビジネス「気鋭の論点 マンションと行動経済学-耐震性に付加価値あり」

日経ビジネス2011年1月31日号の「気鋭の論点」というコラムで「マンションと行動経済学-耐震性に付加価値あり」を書かせていただきました。

人の視線(どこを見ているか)を計測する装置を使ってみました。人の選択結果・行動を観察するだけではわかりにくいのが、意思決定プロセス:どうしてそういう選択をするに至ったのか、です。それでも、視線というのは、そうした意思決定プロセスとは切ってもきれない関係にあります。好きなものを見続けてしまうだけでなく、見続けたものを好きになってしまうという関係も知られています。そうした知見を、耐震マンションの評価に応用してみました。


2011年1月9日

「自主的に取り組めない」大学生たち

今の学生をみていて、つくづく納得。以下の文章は、雑誌記事や書籍からの引用です。それぞれ、いつ頃に発表されたものだと思いますか。(解答は最下部・コメントにあります)


Q1: 受験技術の勉強の結果、大学での学問にむかない頭脳構造ができてしまうことは、よくいわれることだ。「与えられたことはやるが、自発的に勉強できない」「自分で考えるクセがついていない」「新しいことにとびついていく気力がなくなっている」。こうした批判は、いたるところで出される。

Q2: 東大法学部のある教授の話だが、学生のあいだで大教室での多人数講義への不満の声が高いので少人数講義を一部設けたら、開講後しばらくして多人数講義のほうへ流れた学生が少なくなかったという。多人数講義のほうは、種々の学説を解説し、段階づけ、序論-結論まで全部"教えてもらえる"が、少人数では、問題を提示され、自分で考えるように仕向けられるので、答えがハッキリ出してもらえず、それが"不安だ"というのである。

Q3: 学生の自主性を尊重してきた●●大学は、近頃の学生は無気力で、無神経で、大学が今まで学生に与えてきた自由をもてあましていることを発見した。学生にいろんなクラブ活動を組織するようにまかせれば、クラブ活動はぜんぜん実現しないし、学生は大して興味をもっていないので、今まで学生の興味の方向に沿ってきめられていた履修課程も、今では通用しなくなった。…このような現象を、…世論は、教育者が「きびしくない」ためだときめつけた。

Q4: この10年近く、ゼミナールで大学問題を取り上げている。「4年生に、卒業の間際、感想文を書かせているんです。すると、なんのために大学に在籍していたのかよくわからんというものがだんだん多くなってきている。そのくせ、ゼミにはちゃんと出ているんだが。そして、彼らの行き先は、ほとんどねばりと才覚があればといわれるセールスなんだ。暴論かも知れないが、そんな学生にまともに価値論の講義をする気になれない」

Q5: 人間関係での相手と同化することも、絶対でなくなった。深い次元での交際は、互いに傷つく可能性がある。豊かな物質に恵まれ、好んで緊張や葛藤を味う必要がない時代である。それを人間関係でわざわざ味うのは愚かというものだろう。... おとなしいが、さっぱり熱気が感じられない、言えばやるが、黙っていると、ちっとも進んではしない、という若者評

Q6: これからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性である...。


Q1の解答:1967年。『朝日ジャーナル』1967年4月9日号掲載の宇佐美承「大学生の大量留年はなぜ起きる?」 当時の20歳は、2011年にはもう64歳!  つづきはコメント欄です


「自主性のない若者たち」は、いつの時代にも、形をかえて主張されてきたようです。そして、2010年代でも、「ゆとり世代はだめだ」といわれるでしょう。しかし、それは、大人側の言い訳。どの時代の年長者にも、「若者はやる気がない」と見えるようです。「ゆとりだから、どうしようもない」は無責任かもしれません。きちんと責任をもって教育しなくてはいけません。そして、ゆとり世代当事者(若者)たちの言い訳にもなります。「どうせ、おれらゆとり世代だから」などという甘えはやめてもらいたいです。