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2024年11月21日

「国立ハンセン病資料館」にゼミ生と行きました

 東村山の「国立ハンセン病資料館」に、ゼミ4年と行きました。とても有意義な学びがあった。


「らい病」に対する過酷な差別は、20世紀の日本では国家政策になりました。「10年で全患者を強制収容して、次の10年で収容所で死んでもらう」つもりの政策で、病気の撲滅ではなく、数万人の患者の撲滅が図られたとのこと。

手錠をかけて貨車で運ぶだとか、「窓のない黒い自動車がやってきて、泣き叫ぶ母をそこへ押し込んで、それで連れ去った」などしてまで強制収容した例もある。

資料館は、収容施設跡にたっており、その納骨堂には「一度収容された者は二度と社会の土を踏むことができず、家族との絆も絶たれ、死後ふるさとに骨を埋めることさえ出来なかった」と刻まれていました。いまは4千人以上の遺骨が納められているそうです。

 病気とは関係のない、断種・中絶手術も半ば強制された。収容所に暮らした女性の証言で、「妊娠が判って婦人科の診察に行きました。すると、『来週の何曜日に堕ろしますから、ご主人の許可をもらってきて下さい』と言われました」と言われたと。治療法もすでに確立していた1970年のこと。

こちらのURLリンクでも証言読めます。

https://www.jsds.org/jsds2008/2008html/s_sugino.htm

 

男性も夫婦になるには断種手術が迫られました。局部を切開し管を切る。[強制収容や劣悪な処遇など]他のことは許せても、断種手術をされたことだけは、あの屈辱だけは絶対に許せない、と映像資料で語る、元患者の男性。外出もできない不自由な生活が一生続く。


 

「国立ハンセン病資料館」は、かつての収容施設(現:国立療養所 多磨全生園)に隣接しています。団体見学を予約すれば映像資料が見られますので、ぜひそちらを視聴してから展示をみるほうがよいでしょう。(各地に13の国立療養所があります)

社会での理不尽な差別や敵意をむき出した攻撃も酷かった。

多磨全生園園長の言葉に、「当園に隣接して国立ハンセン病資料館もありますので、こちらにも足を運んで下さい。私たちが陥りやすい過ち、そして守られるべき人権、多様性を受け入れる寛容な心、などなどを考えさせる時間となることでしょう。」とあり、本当にそのとおりです。

園長の言葉にもある「過ち」。人類はこれまでに、数えきれない過ちをおかし、人を殺し傷つけてきました。そうした過ちは、後世に「理不尽に長年苦しんだ人たちがいた」とだけ触れられます。そもそも、記憶さえされないもののほうが多いかもしれませんね。ただ、そのひとつひとつには、語りつくせぬ塗炭の苦しみがあり、いまを生きる私たち人類の、いわば「業」の深さを感じます。

人権や平和についての「過ち」を示す資料をみる(見せられる)のを嫌がる人もいるでしょう。でも、わざわざ神妙な顔をしたり、教訓じみたことを口にしたりしなくてよいのです。だって、日常茶飯事だから。その程度で動揺しないことですよ。

過去に酷い「過ち」を主導した人もいたし、傍観した人もたくさんいました。私たちが年老いて死ぬときに「過ちをおかしただろうか」と自問し、大丈夫なはずだと安心して自答したいものです。そのためにも、過去の過ちや、それがもたらした痛みを知っておくべきでしょう。

繰り返す過ちの その度 人はただ青い空の青さを知る

 


2024年11月14日

対日理解促進交流プログラム「MIRAI」のゲストをお迎えしました

外務省が推進する対日理解促進交流プログラム「MIRAI」で来日した欧州12カ国の若者を竹内幹研究室にお迎えしました。

囚人のジレンマゲームにチーム参加し、協力の重要性を体感してもらい、日本経済の強みは「信頼」にあると説きました。その根源は、やはり初等中等教育。そこで公立学校見学に。
公立学校にお連れし、授業風景をみて、生徒さんたちと交流しました。集団主義的になりがちな面もありはしますが、日本の学校空間にいることで、全体最適を重んじ、利己的な行動を抑制できるようにもなります。協力維持には重要なことです。(生徒さんたちは大歓迎してくれました。廊下では握手会も)
集団の利害も重視することで、長期的な協力関係も維持され、結局は三方一両"得"になります。気候変動対策や平和外交も同じでしょう。外務省の対日理解促進交流プログラム「MIRAI」で7日間日本に滞在した皆さん。竹内ゼミの学生とも交流してくれました。日本との良い懸け橋となってくれますように




2024年11月3日

府中刑務所文化祭にゼミ生と

府中刑務所文化祭にゼミ生を連れて、刑務所の中も見学しました。学びの多いイベントでした。
府中刑務所の門が開き、塀の中に

印象に残ったのは、(1)高齢の懲役受刑者が「作業」という名目で、運動やら折り紙でリハビリをしている様子を紹介したビデオ。刑務所というより"老人ホーム"だった。
(2)拘禁刑が創設(懲役・禁固を統廃合)されるとは知りませんでした。刑事収容施設法も第93条で「受刑者に対し、その改善更生及び円滑な社会復帰を図るため必要と認められる場合には、作業を行わせる」と追記されたということ(2025年施行)。いままではただ「作業させる」だったのが、更生が視野に入った。(3)刑務所内の作業場の注意書きが多国語(たぶんアジアの国々の言葉)であったこと。なによりも (4) 更生に携わる法務教官や矯正局の皆さんの使命感に頭が下がりました。

『犯罪は社会の鏡』。社会のあり方、コミュニティや地域の力、家族の愛情、そして、教育政策、所得再分配政策、福祉政策、司法行政。これらの綻びが犯罪となって顕れるともいえます。大学で学び社会の一員となる学生さんたちには、犯罪者は縁遠い人たちかもしれませんが、同じ社会の一員。知っておくべきことでもあると思いました。

子どもに寄り添い、励ます仕事です

法務教官の募集パンフ「子どもに寄り添い励ます仕事です」

全国各地の刑務所で作成された様々なものが売られています

ゼミ生たちが塀の中に入っていきます


法務省のコレワークについて質問する学生さん

2022年11月1日

司法試験予備試験・一般教養科目の廃止。「教養」は、人間社会に関する重要な"ドメイン知識"であろう。

司法試験予備試験の論文式試験において、選択科目が導入され、一般教養科目が廃止されました(出展。ちなみに、官報に載っているとおり、私も予備試験考査委員を2011年度から12年間も務めました。

法科大学院を卒業しなくても司法試験の受験資格を得られるのが予備試験です。その予備試験の論文式に、一般教養科目が、平成23年(2012年)度~令和3年(2021年)度まで出題されていました。1時間にわたって(概ね35行程度?)を書きます。ただ、新たに選択科目を導入するにあたって、「全体の負担の合理化の観点から、論文式試験から一般教養科目を廃止」することになったようです。

出題テーマ(書籍)を一覧してみます。いずれも公開情報を切り取っただけです。

  • 2013: 神取道宏「経済理論は何を明らかにし、どこへ向かってゆくのだろうか」
       ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』
  • 2014: エリートについて
  • 2015: 猪木武徳『戦後世界経済史自由と平等の視点から』
  • 2016: インターネットの普及について
  • 2017: アリストテレス『弁論術』
  • 2018: フレイザー&ホネット『再配分か承認か?』
  • 2019: スペンサー『政府の適正領域』
  • 2020: ソポクレス『アンティゴネ』
  • 2021: 辻邦生・水村美苗『手紙、栞を添えて』

守秘義務ゆえ具体的なコメントも返答も一切しませんが、廃止された科目なので、一言だけ「うむ。経済学者とは思われないものも含め多大な貢献をしたな」と言わせてもらいたい。なかなか他の人にはできないだろう。そして、他分野の方の知見に触れることのできたこの仕事は知的にとても面白かったし、非常に勉強にもなった。

法務省の1階の絵 会議に行くたびに眺めていた。見納めの1枚。

一般教養科目は対策がむずかしいので受験勉強はしないといわれていたり、それがゆえに無駄だと批判されたりもしたようです。ただ、一般論として、こうした類の教養試験は”抽出検査”のようなものなので、そもそも対策が有効であってはならないわけです。例えば、人は女に生まれるのではない、女になるのだ」は誰の言葉ですか? といえば、ただの暗記問題ではあるものの、ジェンダーについて関心を持ち知識を蓄えていれば、どこかでボーボワールのこの言葉に出会っているはずで、正答できます。あるいは、核戦争の恐怖について勉強していれば、どこかで1962年のキューバ危機について読み聞きするはずです。すると、キューバ危機のときの米国大統領は? という暗記問題にも正答できます。たしかに暗記問題ではあるものの、いろいろな興味関心をもって幅広く見聞していれば、正答できるのがこういう教養問題なはずです。

では、専門領域とは直接関係のない見聞がどうして重要とされたのでしょうか。例えばそれは次のような極端な思考実験でうかびあがるような気もします。大地がフラットで地球は丸くないと固く信じている人がいたとして、その人がしっかり法律を勉強すれば、法曹資格をとることは可能でしょう。あるいは、南北戦争や奴隷解放について一切知らなくても、司法試験に合格することも可能でしょう。そうした人たちでも法曹業務は支障なくできるでしょう。

しかし、社会にとって重要なことについて、あるいは依頼者の一生に関わることについて、そうした人たちに決定をゆだねるのは、ちょっと”心配”ではないでしょうか(心配でないというなら、さらに極端な心配事例を考えてください)。専門知識以外の部分があやういと、専門領域においてもなにかあやうい判断をしてしまうのではないかと心配になってくるはずです。特に、新しい問題に直面したときに、依然、専門知識を応用する必要はあるのですが、その応用が心配です。その人が”地球は丸くない”と信じるにいたった認識の姿勢が、専門知識の応用の場面で悪く作用する可能性を感じ取り、心配になるのでしょう。社会常識や教養を要件にするのも無意味とはいえないように思えます。弁護士法には「(弁護士の使命)第1条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」とあるわけで、専門知識だけではなく、その人生観や価値観が重要であることはいうまでもない。

教養については、教養のある知識人や研究者が多く分析し語っていると思うので、教養のない竹内がいまさらなにかを付け加えようなどとは思いません、ただの雑談です。きっと、教養の有無は、専門知識の妥当性を考えるときに重要なのでしょう。専門知識や理論とは、たいていは多くの想定や仮定のもとになりたつ理屈にすぎません。それを現実の個別具体的な事象に応用するときには、理論が前提としていた想定をどの程度まであてはめてよいものを見極める必要があります。

データサイエンスまわりの流行りの言葉でいえば、教養とは、理論を応用する際に必要な”ドメイン知識”といえるのかな(ドメイン知識自体はその領域独自の知識を指すはずなので、意味あいは逆なのですが...)。「教養」や見聞は人間社会や人の一生に関する知識といえるのではないでしょうか。"役に立つ"とは遠いという意味で教養の最たるもの=文学でいえば、定番図書として例えば、『車輪の下』やら、『ボヴァリー夫人』やら、『怒りの葡萄』やら、『椿姫』やらを読むことで、決して体験することのできない他人の人生の様々を疑似体験することでしょう。専門と直接関係がないとしても、例えば、鎌倉時代の武家政権の誕生や鎌倉幕府内の権力の推移を知っていることによって、現代社会や組織におけるパワーバランスの変化を鳥瞰することができるかもしれません。あるいは、近代合理思想や啓蒙思想がどのように世界を形作ってきたかを思えば、今日の現代社会の司法が担う歴史的重要性もわかるというものでしょう。これらのいわば雑多で一般的な背景知識を備えている人こそ、法曹にふさわしいのではないかと思います。

難しいのは、①こうした教養知識がどのように"役立った"といえるのか、②教養知識の広さや深度をどのように測るか、でしょうか。この辺は、きっと定性的・定量的な事例研究などがきっとあるだろうなと思いますが、残念ながら、寡聞にして知りません。教養には単なる衒学趣味や自己満足ではない何かがあると信じる人は、私も含め、絶滅はしていません。

地球は平面だと信じている人が裁判官でも心配にならないというのであれば、また、人の悲しみに涙したことなくてもよいというのであれば、教養知識など役にも立たないというでしょう。実際、どうなのでしょうね。(以上は、あくまでも一般論で、一個人の見解です)。

14年前でしょうか、一番初めに、法務省の担当の方が私の研究室まで来てくださったことよく覚えています。長い間、お世話になりました。 To the happy few. 

2021年3月20日

卒論TIPS集:卒業論文の校正添削でのコメントまとめ。

卒論を添削していて、いつもコメントしていることをまとめてみました。
特に、「I. 文章の書き方について」は、絶対にわかっているべきにもかかわらず、初めてレポートなるものを書く学生さんがあまりわかっていない部分だと思います。卒論のように長いものを書く場合は「V. ワードの便利な使い方について」も役にたつと思います。

卒業論文TIPS集

2021年1月8日
竹内幹

I. 文章の書き方について(最重要!)

  • 原則1:文は、客観的事実やデータ、または、自分の主観的意見や見解のどちらかで構成される。客観と主観を明確に区別しながら書くこと。
  • 原則2:「主観」を客観的に表現することで、その「主観」が読み手に伝わるのを理想とすること。
  1. 事実は、そのすべてにデータや出典をつけるつもりで書くこと。「AはBだ」と言い切るときには、その心得として「Xによれば、AはBだそうだ」あるいは「私の独自調査によれば、AはBだ」という形態をとるべきである。それがなければ、主観的意見(感想)か不確かな伝聞にすぎない。自分以外の人の主観的意見は「鈴木(1997)は、~~と主張した。」という客観的事実として記述すればよい。
  2. 「~とされる」「~といわれる」表現は、その~部分を誰がいったかわからないので使わないこと。代わりに「~だ。」と断言する。断言することで不安になるのは、調査が足りないから。情報ソースをしっかりそろえること。
  3. 客観的事実を記述するべきところに、主観的評価をすべりこませるような修飾はなるべく使わない。
    (1) 「~が多い」や「~が高い」といった形容詞表現は、その評価が主観によるので、単独ではなるべく使わない
    代わりに、あるいは補足として、客観的な数字やデータを出典付きで使うこと。そのデータを読み手が知った時に、「なるほど、『~が多いというのは本当なのかもしれない」と主観的に納得してもらえることを目指す
    例えば、「■■社は〇〇市場においてゆるぎない地位を占めている」は、ゆるぎないという主観的表現があるのでよくないし、はっきりいえば、そのせいで下品な文になっています。代わりに例えば、「〇〇市場における年間売上高順位では1991年から2002年まで××社が首位にあったが、2003年以降現在に至るまで■■社が首位にある。またその売上高シェアも2008年以降50%を下回っていない(データ出典)。」と書くとすこし客観的になる。「ゆるぎない」はこういうことでいいですか? ちゃんと説明できるはずですよね。
    (2) 「きわめて~だ」「明らかに~だ」「非常に~だ」といった形容動詞表現は、その評価が特に主観的になるので使わない。
    (3) 「前代未聞」、「空前絶後」などの派手な四字熟語も使わない。「ゆるぎない地位」だとか「~が叫ばれる現代」、「~~といっても過言ではない。」といった比喩表現や慣用句はきわめて下品。「~なのだ。」も同じように不要な表現であるので、使わない。

  4. 1段落1メッセージを心がける。1メッセージに1段落を使う。そのメッセージはトピックセンテンスの1文に集約される。トピックセンテンスは、段落冒頭に書かれることがほとんどだ。段落内の文章はそのトピックセンテンスについての補足説明という位置づけになる。したがって、トピックセンテンスだけを抜き書きすれば、あらすじがわかるような構成にすること。

  5. コロケーションに気をつける。単語には対となるきまった動詞があるので、それを使うこと。わかりやすい例でいえば、「雨は降る」のであって、「雨が落ちる」とはいわない。ふだんからよく使う単語であればこうした間違いはしないが、正確性を重視する説明文を読みなれていない人が論文を書くと、こうした間違いをおかすようである。「印象を行う」「突出して低くなる」のような誤りをこれまでにたくさん見てきました。

  6. しっくりくる言葉や言い回しが見つからないときは、実は、十分な説明をしないまま複数のことを1文に詰め込みすぎていることが多いという印象を私はもっている。
     例えば、「ゲームをプレイするときの集中力の低下傾向の変化は~」のように、節や単語だけで説明しようとしないで、丁寧に2文か3文を書いてまずは状況を説明して、それから主張したいことを記述すること。

II. 著作権、「引用」や孫引きについて

  1. 著作権侵害をしないこと。
    (1)盗用しない、パクらない。他人の著作物(他人が書いた文章やフレーズ、発言、良いアイディア、気の利いた言い回し等)を、①出典表記をしないで、②転載や転記をすること、あるいは、少し書き換える等して使用することは、違法行為です。絶対にしないこと。少しだけ書き換えれば良いというのは通用しません。自分があたかもやったかのように装うことは、むしろ悪質です。

    (2)正しく引用すること。どこがあなた自身の言葉で、どこが引用(転記)なのかを明確に区別できるような引用をすること。出典表記があっても、正しく引用していなければ、それも違法行為となりえます。例えば、長すぎる引用は著作権侵害にあたる場合もあるようです。他人の労力にただのりするような行為を慎みましょう。

  2. 引用文をメインにして論文を構成しないこと。出典表記があり、正しく引用されていたとしても、引用を継ぎ接ぎしてできた文章はあなた自身のオリジナルな論述にはなりません。あなた自身のオリジナルの記述を主として、どうしても必要なところだけを従として引用すること。
     例えば、地球の四季を知らない人に「春夏秋冬」について簡単に説明してみてくださいと言われたら、あなたはオリジナルの言葉で説明できるはずです。ちょっとやってみてください、
     それなりにうまくできますよね? それはあなたが四季についてよく知っているからです。四季のことをよく知らない人が仮にいたとすれば、おそらく、百科事典やwikiなどの記述を切り貼りして、四季とはこういうことだと知ったかぶりをする他ないでしょう。つまり、論文を書くのであれば、自分のオリジナルの言葉で言い表せるくらいに、そのことについて知識を深める必要があります。これが「あなた自身のオリジナルの記述を主として」という意味です。
     でも、記述をさらに詳しくしようと試みて、例えば、いま住んでいる場所の平均気温の情報や、行政上の定義などを記述に加えたいと思ったときには、引用が必要となるでしょう。あるいは、春が文学作品のなかで重要なイベントとして扱われているとあなたがオリジナルな記述として主張し、そのために、文学作品で実際に春がどのように描かれているのかを例示したいときには、その文学作品の該当箇所を正しく引用する必要が出てきます。こういう場合が、「どうしても必要なところだけを従として引用する」ことになります。

  3. 孫引きはしない。原典を入手して確認することを原則とします。例えば、『ミルの自由論を読む』という本に「ミルは、「○○××である」と述べ、~~を是としている」という文をみて、あなたが『自由論』を読みもしないで、ミルも「○○××である」と述べていると書くのはズルです。仮に『ミルの自由論を読む』を参考文献に挙げていても、ズルです。

III. 体裁について(よくある誤字・誤用を順不同で)

以下の箇条書きの注意点を読んでも、まったく同じ誤りをおかす人が多いです。ひとつひとつ、理解してから自分の文章をチェックしてください。
  1. 「図1.1 卒論の種別」といった図のキャプションは、図の直下につける。
  2. 「表1.2 記述統計表」のような表のキャプションは、表の上に。最近は変わりつつもあるようだが、図表のキャプションの付け方は依然これがアカデミアの基本である。筆者自身は図のキャプションは図の上につけるほうがわかりやすいと思っていますが、型破りするほどでないはずです。
  3. 図には、本文を読まなくても、その大まかな内容と図の主張がわかる詳細なNotesや註釈を付けること。経済学の論文では図に註釈をまったくつけないこともあるが、よくないカルチャーなのでまねすべきでないと筆者は思っています。
  4. 半角と全角とを混合させないで、どちらかに統一すること。
    (1) 数字の全角は「1985年」、半角は「1985年」。
    (2) 引用符の全角は「“”」、半角は「””」。
    (3) アルファベットの全角は「ABC」、半角は「ABC」。
    (4) スペースの全角は「 」、半角は「 」。

  5. 「開く引用符」と「閉じる引用符」を正しく使いわけること。両方とも閉じるになっている誤用をよく見かけます。フォントによって見分けがつかない場合もあるが、開くほうは66のような形で、閉じるほうは99のように見える。
  6. 日本語で脚注番号の挿入位置は句点の直前である。句点の直後にするのは誤用。英語ならばピリオドの直後に空白をいれずに挿入する。
  7. 文末に()で註釈をつけない(このような例外も時としてあるなどと書かない)。カッコをとり、本文の一部として自信をもって記述するか、脚注にいれる。あるいは、本筋からはずれた註釈ならば削除する。
  8. 文末に文献を参照するのであれば、このようにする(Takeuchi, 2011)。この場合()内は文章の一部なので、句点はカッコの後につける。「このようにする。(Takeuchi, 2011)この場合」とするのは誤り。
  9. 脚注での文の末尾にも「。」や「.」をつける。忘れる人が少なくないです。
  10. 数式も文の一部なので、数式で行が終わり、直後から新しい文が始まるようなケースでは式の直後に「.」をうつ。直後から文が継続する場合は、式の末尾に「,」をうつことも多い。この原則は、数式が独立した行の中央部に書かれているようなケース、つまり、次のような式の書き方のときも通用する、
     u(x) = log(x).
    前の文は「log(x)」で終わっているので、直後にピリオドが必要。
  11. カンマやピリオドの直後には半角スペースを入れること。英語の授業で習わないのか、これを忘れる人が多い印象。
  12. 「et al.」と書く、斜体でなくともよいがピリオドを省略はしない。最後のピリオドは名前の一部みたいなものなので直後にカンマがくるときはカンマの直前の空白はいらない。「et. al.」「etal.」も間違い。エタールのように読み、英語でいえば“and others”、日本語では「たち」「ら」の意。
  13. ページ番号で、見開いた場合に表示されるのは、2kと2k+1 の組であって、2k-1と2kではない。つまり、横書きであれば、左側が偶数で右側が奇数になるし、縦書きであれば、右側が偶数で左側が奇数になる。
  14. ページ番号は、タイトル頁を開始番号iとして設定するが、表示はしない。第1章がはじまる直前までのまえがき等では、は ii, iii, iv… と続く。第1章から1, 2, 3, 4… と続く。学術書を参考にすること。MSワードでページ番号の種類を変えたい場合には「セクション区切り」を使えばよい。
  15. 1文字だけ行頭にあって、すぐに改行となるような体裁にはしない。表現等を変えたり文字数を増減したりして調整する。
    」のような体裁にならないよう文字数などを調整すること。
  16. 1行だけページトップにあって、すぐに改ページとなるような体裁にしない。
  17. ページ最下部に、段落小見出しだけがあり、それに続く文章は次ページ冒頭から始まるような体裁にならないように編集すること。MSワードであれば「スタイル」を正しく設定することで回避できるはずです。

IV. 参考文献(References)の書き方について

本質的でないところだが、最も簡単に粗探しができてしまうところが参考文献表記である。本質的でないが、こんなところで誤記があるような論文は、中身もきっと怪しいと判断されうるだろう。書き方については、いろいろなところに解説があると思うので、ここでは詳説しない。
  1. 既存の論文等の参考文献表記を参考に、一字一句まねる。カンマなどを勝手に省略しない。これができない人は数式展開や統計分析でも必要な手順を勝手に省略していたり誤用していたりするかもしれないと私などは感じてしまう。
  2. 一貫性と整合性をもって表記する。一貫性がないのは、例えば、あるエントリーでは最終著者の前に「&」をつかったのに、別のところでは「and」であるようなこと。他には、あるエントリーでは、ファーストネームが1文字だけのイニシャルに省略されているのに、他では、フルネームで表記されているなど。あるいは、Vol.4, No.2 とあったかと思えば、ほかでは 4(2) になっていたり。このような不整合が発生してしまう可能性はたくさんあるのでよくよく注意。
  3. 和書書籍と和文学術誌の名は『』で、和文論文題名は「」でくくる。
    英文は『』を使う代わりに名を斜体で表記し、論文題名は「」ではなく“”でくくる。これも間違える人が多数。
  4. 日英をわけてそれぞれ五十音順とアルファベット順に並べてもよい。あるいは和文献著者名をローマ字読みして、全部をアルファベット順にしてもよい。

V. ワードの便利な使い方について

  1. まず「編集記号」を表示しよう。下図で赤矢印の先をクリックすると表示できる。これで改行マークや挿入された空白が見えるようになります。


  2. スタイル機能の活用を原則とする。章のタイトルは「見出し1」、節のタイトルは「見出し2」としておけば、目次も自動で作成できる。上図の赤矢印の右側に「あア亜」と表示されている部分で、スタイルを設定できる。
  3. 水平位置を調整するためにスペースを挿入しないこと。「インデント」「右寄せ」「センタリング」を使うこと。水平位置をそろえる1つの方法は、キーボード左にあるTABキーを押して「タブ」を挿入すること。あるいは、「ルーラー」も使おう。上図で楕円で囲んだ部分にある「ルーラー」を一時的に使う。ルーラーが見えないときは「表示」タブで表示できるように設定する。ただし、文書全体での処理ではないので統一性が損なわれます。あまりおすすめしません。
  4. 縦方向の間隔調整のためだけに改行を挿入しない。代わりにスタイルを活用する。例ええば、節タイトルを見出し2にして、見出し2の書式に「段落前」は1行空けるといった設定をすればよい。
  5. 「改ページ」機能を使う。改ページのために改行を挿入しない。
  6. 参考資料「図表番号の挿入」を使う。この機能を使っておけば、図表の追加削除したり、順序を変更したりしても、自動的に番号をつけなおしてくれるし、図表目次も自動的に作成できる。
  7. 式番号やページ数を相互に引用するときなどは、「相互参照」を使う。
  8. 箇条書きなどで番号を改めないものの改行したいというときは「Shift+Enter」を打つ。
  9. 上級者は「フィールド」も使いましょう。ワード内で使える変数のようなものです。
以上で紹介された機能を、とりあえずいじって使ってみるか、無視するか。ここに向上心や学習意欲が現れるような気がしています。

VI. そのほか

卒業論文の構成について

次のような構成になるはず。
  • タイトル頁(次の偶数ページは空白にする。このあたりは専門書を参考に。)
  • 要約(フォーマルな内容のもの。パーソナルには一切しない)
  • まえがき(optional. この卒論の内容紹介とそれを書くにいたった簡単な経緯。すこしパーソナル。)
  • 目次
  • 図表目次
  • 第1章
  •  第1節
  • 第N章…
  • Appendix 
  • A1. ….
  • A2. ….
  • 参考文献 ← Appendixの前におくことも多いが、参考文献最後のほうが締まる。
  • 索引      ← 専門用語や事例がたくさん登場する場合にお好みで。
  • あとがき(大学生活やゼミ活動や卒論などを振りかえるパーソナルな感想。)
  • 奥付 (ページ番号いれない)
第1章は全体的な導入にする。大部になる場合、最後のN章は全体的なまとめになる。見開き印刷の場合、各章のとびらは奇数ページに(横書きであれば見開き右側に)。

製本や印刷について

カラーページはカラー印刷のこと。両面印刷でも片面印刷でも可。インクジェットプリンターによる出力は不可。必ず、レーザープリンターでの印刷にすること。上質な紙を使い、再生紙は避けよう。自分用にぜひとも1部を製本しましょう、数千円をケチらない。できれば保護者さんにも1部。

以上です、グッドラック。

2021年1月19日

ゼミでの定番図書。学生の「推薦図書」を教員が読んで、図書券3000円も配ってみたのだけど。

竹内幹ゼミでは定番図書を読んでもらうことにしています。私のような人間が”定番図書”を読めと人に押し付けるなんて身の程知らずの思い上がりだ。と思っているのですが、ある試みの失敗を経て、現在のやりかたに変えました。その試みとは...。


ゼミ選考の提出書類に、「ゼミ生への推薦図書」を書いてもらっています。薄いっぺらいビジネススキル本を書かれてはつらいので、西暦2000年以前に出版されたもので、自分にとって大事な本、他のゼミ生におすすめしたい本、を紹介してもらっています。やっぱり若いときに、そういうものに触れてほしいと思うので(と、私自身、若いときからそう思っています)。

あるとき、思いきって、ゼミのはじめに図書カード1人3000円を配りました。合計24000円を私のポケットマネーで。そして、「ゼミ生への推薦図書」を教員の私が読んで、つらつらと感想文を書くことにしました。ゼミ生同士でも推薦図書を読み合うなんていう美しいシーンが展開されることをひそかに期待したのです。

ところが、完全にあてが外れたようで、そうした動きは見られませんでした(少なくとも私には)。実は、かなりがっかりしました。それで、この失敗をうけて、「竹内による推薦図書」を読ませるという、やや傲岸不遜なポリシーをとるようになったのです。

書評や評論のような格調高いものを書くキャパシティ・力量はないのだけど、感想文・エッセイはがんばって書きました。下に貼り付けてみます。ゼミの先生が自分の推薦図書を読んでくれて感想文まで書いてくれたら、うれしくていっぱい読んじゃうような学生だったな私は。でも、その大学のセンセイになる「私」基準を、学生にそのままあてはめてもうまくいかないね....。


アリストテレス『弁論術』(岩波文庫)

Iさんの推薦図書、読み終わりました。弁証ではなく、単なる演説テクニックとしての弁論術について、現実主義者のアリストテレスが解説した書物。いまから2300年くらいまえの講義録・著述が現代に伝われる。おもしろい。

 師匠プラトンが書き記したソクラテスvsゴルギアス(『ゴルギアス』←Nさんお勧め図書ね)で示された、弁論術に対する強烈な嫌悪感を、「それはそれとして」横に置いておいて、有益な伎となりうるとして解説を試みる。大衆扇動家ともいえるゴルギアスを追い詰めるソクラテスの弁を借りて、プラトンが主張するには、弁論術とは、論理的に正しくない主張のためであろうとも大衆を意のままに誘導することさえしてしまう、まことにけしからんこと。だが、使い方さえ間違わなければ、真理のあり方とは別に、心理に呼びかけることもまた必要なときもある。
 第1巻は、概論や総論のような前置きで、前半部の弁論vs弁証の観察はとても面白い。後半部は、おなじみの「徳とは...」のようなつかみどころのない話をしている。ただ、弁論術の使い方を間違わないためには必要な前置きだということかしら。第2巻は、聴き手の心理について、細かい場合わけをして解説を試みています。第2巻第22章(p.259-)あたりから、弁論についての記述が多くなってきて楽しめる。
 第3巻(第1章, p.306)に入って、真理を証明する弁証術と、話法についての弁論術のちがいについて、以下のようにはっきりといいきる。
「演技的要素の研究など低俗なことだと思われているが、そのように見るのも正しいのである。しかしながら、弁論術の仕事は、その全体が聴き手はどう思うかに向けられているのであるから、そのような表現方法(話術)を、正しいこととしてではなく、説得に必要なことと考えて、それに関心を寄せるべきである。なにしろ、弁論に関しては、本当に正しいことというのは、聴き手に苦痛も与えなければ悦ばせることもないように語って、それ以上は求めないということなのだから。なぜなら、正しいのは、事柄そのものをもって争うことであり、したがって、証明以外のことはすべて余分だからである。とはいえ、上でも言ったように、聴き手が能力を欠いているため、演技的要素は大きな効果を発揮する。」
 伝えられるとおり、このようにアリストテレスが書いたのであれば、いまも昔も変わらないねえなあというのが、私の率直な感想。「聴き手が能力を欠いているため」←ここは、声を出して笑ってしまったシーンです。「どう語るか、その語り方の違いで、はっきり示すという点で違いが出る...しかし、その違いも...すべては見せかけの上でのこと...。それなればこそ、幾何学を教えるのにそのような手段をとる者は一人もいないのである。」←まったくです。第2巻にもすでに同様に;
「前者[=多くの議論を重ねて結論を導くこと]は議論が長すぎて、聴衆にははっきりしなくなるし、後者[=議論の段階をすべて押さえながら結論を導くこと]は、判りきったことまで述べるため、無用なお喋りになるからである。じつにこのことが、大衆の前では、教養豊かな弁論家よりも教養に欠ける弁論家のほうが説得力を持つ理由となっている。(p.259)」とあります。
第3巻第14章に面白い部分があります。
「聴き手によく判って貰うためには、望みとあれば、語り手はありとあらゆる手段をこれにさし向けることであろう。優れた人物と思われる、というのもその一つである。というのは、聴き手はそのような人物により一そう注目するからである。聴き手はまた、重要なこと、自分に深く関わりあること、驚嘆すべきこと、快いことに注目するものである。それゆえ、弁論がこのようなことに関わっているかのような印象を植え付けなければならない。(p.374)」
本当にアリストテレスがこのように書いたのか。身も蓋もないけど、ずばり聴き手のことを適確に書いていますね。このように、にやにやしながら読んだくだりは多かったです。
第1巻後半の「徳とは...」や、第2巻の聴き手の「義憤vs妬み」の下りなどの曖昧な記述を読むと、人文学・社会科学が最近数世紀で飛躍的に進歩したことを感じました。着眼点はするどくても、観察による検証というプロセスがぬるすぎて、現代レベルだと論文プロポーザルにすらならない。紀元前300年頃の当時では天才的思想家だったわけで、だからこそ2000年以上の時の流れのなかを生き延び、言語・文化を超えて、当時アリストテレス自身も存在をしらなかったような東洋の国々にまで翻訳されて伝えられているんですね。すげーや。
とはいうものの、論点を複数の要素に分解して各々を論じていく考え方など、すでに2000年以上前に完成されていた、思考方法であることも同時に実感。写本されるごとに手が加わっていますから、どこまでがオリジナルなのかはわかりませんけども(こういうこともその筋の研究者が解明を試みているんだとは思いますが...)。
その1つが、「要点を先に示すこと(第3巻第5章, p.327)」。おお! いまプレゼンや文章の書き方で必ず強調されることの1つですね、これは。「文の中間に多くの語句を挿入しようとする際、自分の言わんとすることを前もって示しておかないような場合も、文章を曖昧なものにする。例えば、『なぜなら私は、彼と、かくかくしかじかのことが、これこれのようであって云々、と話し合ってから出発しようと考えていたからである』と述べ[るようなやり方は文章を曖昧にしてしまっている]」とのこと。(やや長いところもあるので、それをこなすと)いろいろと面白かったです。ありがとう。

新田次郎『孤高の人』

Sさんの推薦図書、読み終わりました。よかった。加藤文太郎氏(主人公)のこと、初めて知りました。私が所属していた中学山岳部の顧問がいかにもな「山の人」で、彼はもちろん加藤文太郎のことは知っていたんだろうなと、30年近く前のことを思い出しました。
 それで、どうしても山歩きしたくなり、息子を連れて、今日奥多摩に行ってきました(山歩き15年ぶりか、もっと久しぶり)。鳩ノ巣駅→コブタカ山→本仁田山(1224m)→奥多摩駅で、30年近く前、私が中学1年で初めて奥多摩登山したときと同じ道筋。そのとき買ったザックもまだ使っているので、それを持って行きました。
 Sさんのお父様が好きだという谷川岳。中1・2・3・高1の夏に私も登りました。写真は、大学2年で登ったときのもの(後ろで横になっているのは、同期の中川淳一郎さん)。こちらも体力が続くうちに1回くらいは行っておきたくなりました。

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』、読了。

Kさん(4年)の推薦図書。人類が、1万年ほど前に農業や家畜生産をはじめ、つづいて文字の使用も始まるわけだけど、それらが大陸ごとにすこしずつ広まっていく。その経緯を分析し、大陸ごとのわずかな初期条件のちがいが、後々の人類の進歩の違いにつながること---なぜ今日、ユーラシア大陸起源の文明が世界の大半を覆いつくしているのか---を考察している。
本書タイトルは、スペイン人宣教師ラス・カサスの告発『インディアスの破壊についての簡潔な報告 』(岩波文庫)のような歴史事実が背景でしょう。"銃・病原菌・鉄"は、スペインの征服者(コンキスタドール)たちが16世紀の中南米で行った、1000万人規模の大虐殺から来ているはずです。本の表紙絵もミレイ(1845)「ペルーのインカを征服するピサロ」。

 アステカ帝国にしてもインカ帝国にしても、16世紀のスペインにあっさり負けてしまった(必ずしもそうではないのだけど、そのように言われることが多い)。もっぱら、銃や乗馬技術の有無、そして病原菌(天然痘)による人口激減が敗北を決定づけたのだが、どうしてここまで圧倒的な差がついてしまっていたのか、と。
 単に「圧倒的な差」というのではなく、宣教師カサスが告発した、殺戮・拷問・略奪の凄惨なシーンを知っておくことも教養でしょう。(以後、注意)。「スペイン人は無数のインディオを殺害し、男女に関係なく、数え切れないほどのインディオの手を切断し、鼻を削ぎ落とし、さらに、残りのインディオを獰猛な犬に投げ与えた。彼らは犬にずたずたに引き裂かれ、食い殺された。(p.209)」や「[奴隷にしたインディオが]疲労困憊して歩けなくなったり、気を失ったりす...ると、スペイン人は...倒れたインディオの前を鎖に繋がれて歩いていたインディオたちの首枷を外すのが面倒なので、すぐさま、そのインディオの首枷の辺りを斬りつけ、首を切断した。(p.172)」のようなのは、数ページに1回、多くの場合、地名や人名といった固有名詞つきで(追記)、出てくる。
 「さて、例の総督[ペドラリアス・ダビラ]の統治期に、総督自身が手を下したり、部下が行うのを容認したりした犯罪行為は数え切れないほどあり、以下にその一例を記そう。あるひとりのカシーケ、つまり、インディオたちの首長が総督に9000カステリャーノの金を差し出したことがあった。...ところが、スペイン人はそれだけでは満足せず、その首長の身柄を拘束し、地面に立てた一本の杭に縛りつけ、それから、両脚を引っ張り、足元に火をあて、さらに多くの金を差し出すように強要した。首長は部下を自分の館へ遣り、さらに3000カステリャーノの金を持参させた。しかし、それでもスペイン人は満足せず、ふたたび首長に拷問を加えはじめた...そのまま首長の足を炙りつづけたので、とうとう、足の裏から骨が突き出てしまい、そうして、首長は息絶えた。...スペイン人は金を奪うために大勢の首長を殺したり、苦しめたりしたが、それは一度や二度のことではなく、数えきれないくらい頻繁に行なわれた(版画6)。(pp.71-72)」。
具体的な地名や人名でしっかり書かれているのがほとんどで、原住民皆殺しであった。19世紀になっても、南米アルゼンチンでは原住民駆除の報奨金を出したりもしているので、同じ人間だとは思っていないのでしょう。読むだけでもつらいが、現場をみたらPTSDになる。
因みにこの報告書は、本国に征服をやめさせるように働きかける目的で宣教師カサスが、おそらく命をかけて、"政府の許可を受けずに"出版したもの。以後、100年以上経って、対スペイン戦争のときに他国に利用されるなどが、74ページもの訳者による解説で興味深く考察されている。
本題に戻して。中国も、鄭和(1371-1434)が大航海時代に大船団を率いてアフリカ大陸まで行く技術力はあったのだが、進歩がとまってしまった。以後の産業革命などで、ヨーロッパが一気に中国を引き離した。人類の三大発明、火薬・羅針盤・印刷技術は、中国発祥であったのに。なぜか?
 本書では、新興技術の普及が人為的に妨げられる要因として、既得権益による抵抗や、あるいは中央集権内の権力争いをあげている。中国の大航海も、それを推進した側が政権内部で失脚し、以後、政権をとった側が大航海を国策として打ち出すことはなかった、と。
 それに対して、ヨーロッパは地形的に入り江や山脈で入り組んでおり、全ヨーロッパが統一政権のもとにおかれることはなかった。それが、新興技術を取り入れ改良する動機を各地方に与えたということらしい。また、意思決定権者は、各人の権限は中国の明帝国の大きさにはるかに及ばないものの、数が多い。つまり、あっちがだめでも、別の権力者が新技術を採用しうるという多様性があった(一方で、平原が多い中国では権力が集中したがゆえに、その多様性がなかった)と考察しています。いろいろとこうしたエピソードがとても面白い本でした。
 石器時代後からつい数百年前まで、人々の暮らし向きはほとんどよくならなかった。もちろん幾多の技術によって生産性は比較できないほど改良されたのだけど、一人あたりの食料生産や平均余命30年程度といった数値をみれば、先進国の貴族や富裕層のようなごく一部を除けば、ずっと生存ぎりぎりのラインだった。先進国首都ロンドンでさえ『オリバーツイスト』の描写をみれば、なるほどと思う。
 でも、どうして地球上の一部地域(ヨーロッパ)でつい200年ほど前から、生存ラインギリギリの生活を大きく離れて「大分岐」できたのか。類書のクラーク(2007)『10万年の世界経済史(原題:A Farewell to Alms)』
を読んだと思うけど、そこで私が面白かったのは次の部分:エリート層の長子相続のおかげで、次男坊以下の没落が起きる→没落によって、上層階級の文化・生活・価値観が下層階級にまで浸透していく→それによって、産業革命の基盤もととのったし、その果実が階級を超えて(格差はひどかったけど、ともかく)分配されうることにつながった。
この手の本はエピソードや統計やら、ほんとうにいろいろ勉強になりますね。『豊かさの誕生』も読んでみようと思いました。良い本を紹介してくれて、どうもありがとうございました。

三浦綾子(1968)『塩狩峠』読了。

Yさんの推薦図書。『氷点』にしても『塩狩峠』にしても、なんとなく読まずにここまで来たので、読めてよかった。ありがとうございます。
誰しも結末は知っていると思うけど、Yさんも書いていたとおり、要諦は「信夫は如何にしてキリスト信徒となりし乎」というところ、そして、いかに強くキリスト者とならんと努力したかが読みどころなのですね。
 アメリカに住んでいたときに、教会に行ったり、行事に参加したり、教会の人と触れ合う機会がありました。いずれのみなさんも本当に親切だったし、その教えは[異教徒の私にとっても概ね]素晴らしいものばかりだった。その思いにはいつも感動するし、敬意をもっています。
 話の後半で、信夫は、徹底してキリスト者になるために、困っている人(三堀)を助けたし、そこには常人では理解しがたい信夫自身の犠牲をともなっていた。しかし、結局は、それによって神に近づくことができるという下心のようなものが自分にあることに信夫は気づき、大いに反省するわけです。まさに求道。
 そんな誠実な信夫が命を投げ出して多くの乗客を救うのは理解できるけれど、それは三堀を助けたとき同じような、信夫自身の自己成就が重ね合わされてしまいうるわけで、信仰というのは本当に厳しいと思う(これは決して「偽善だ」とかいうシニカルな見方ではないです)。狭き門より心して入れ! ということか。
 遠藤周作(1966)『沈黙』は、『トニオ・クレーゲル』や『ソクラテスの弁明』などとともに、私にとっては大事な本のひとつです。高校3年生のときに放課後に教室で一人読んでいて、あの決定的なシーンの部分で、顔も上半身も感動のあまりしびれて呆然と黒板を眺めた自分の姿をよく覚えています。あのとき、キリスト教のいう「インマヌエル」=どんなにつらくても苦しくても神はあなたとともにあることや、罪人はより深く愛されるがゆえに幸いであるとか、イエスが言う「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」や、イエスが「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われ」たということがすこしわかった気がしました。他にも『侍』やら7冊を読んだ。遠藤周作流の解釈ではあってそれを甘いという信者もいるはず。でも、今後もキリスト者にはなりませんが、これらの本を読ませてもらった経験と思考は、いまでも心の支えとなっています。
『沈黙』はぜひすすめたい。(事前知識としていれておくといいのは、人々が罪深いことのおおもとの「罪」は、神を認めないことにあり、神を信じ、その赦しを請うことでしか救われないという信仰教義かと思います。その請い方も、生贄やポーズのような慈善や偶像崇拝ではいけないわけです。厳しいよ。)
同時に思い出すのは、内村鑑三(1895)『余は如何にして基督教徒にとなりし乎』です(光文社新訳『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』もでたので、どうぞ)。後半部で書かれる在米経験やカルチャーショック体験などがとても読ませる。キリスト教国に行ったのに、人種差別にあったり、不道徳な輩に失望したり、ね。
 ところで、よく見ると、その内村(1895)の一節に「「自由な結婚」「女性の権利」その他多かれ少なかれぼくらにとって好ましくない風俗 習慣を教える宣教師たち」とあって、面白い。女は、学校や大学に行ったり、投票権をもったりする必要はないし、親が決めた縁組を断ることなどすべきでない、ということかな。120年前の明治という時代制約ですね。いつも進歩的であっても、100年もすれば全く異なった考えが広まるうる一例です。それは、21世紀初頭の現在と、100年後の22世紀でも同じことが起きうることを示唆しています。自戒。
『沈黙』を通して彼らの信仰のことを思うたびに、いつも胸に響くし、難しくても謙虚でありたいと思いなおします。

刈谷剛彦(1996)『知的複眼思考法』読了。


Hさんの推薦図書。「どうすれば、ステレオタイプにとらわれない「自分の頭で考える」視点を得ることができるのか。自分で考えるためのこうした方法を、わかりやすく解説したテキストは、まだあまりないようです。」(p.60)とあるとおり、与えられた情報を鵜のみにせず、自分で考えることの手ほどきをしたいというのが著者の願いでしょう。良い本だ。
 感想を述べるまえに、みなさんにとって一番大事だと思う部分を強調しておきます。「ステップ2 書くことと考えること」(p.128-)にある
「考えるという行為は、その考えが何らかのかたちで表現されてはじめて意味を持つもので...しかも、考えたことを文字にしていく場合、いい加減であいまいなままの考えでは、なかなか文章になりません。何となくわかっていることでも、話し言葉でなら、「何となく」のニュアンスを残したまま相手に伝えることも不可能ではありません。それに対して、書き言葉の場合には、その「何となく」はまったく伝わらない場合が多いのです...あいまいではなく、はっきりと考えを定着させることが求められるのです。」
 まさしくこの通りですので、配布資料では、箇条書きではなく、文章で書いてほしいのです(パワポは別ですよ)。そして、その過程で、書き進めることができないときは、まずまちがいなく、理解・データ・根拠・知識が不足しているのです。インプットせよ!
 他にも、なにか漠然とした文章や意見について、「それはどの程度そうなのか(本当にそうなのか)?」をまず聞く(p.183-)というのは、基本ですね。「日本は集団主義的だから、~~だ」というもっともらしい意見については、「日本ってなんのこと」、「集団主義ってなに?」、仮にそうだとして集団主義とやらと「~~だ」との間に本当に因果関係があるのか? と問い、データ・歴史・類似ケース・先行研究から、それに答えていくところから始めましょう。
 刈谷先生の書くものだけあって、前半部は特にしっかりしているし、商学部の導入ゼミで使われたりもしていますけど、これが冒頭に述べたテキストとして機能するのかは、結構難しいかなあとも思います。類書もよく目を通してきたけど、なかなかこの辺で良いテキスト(ワークブック形式)はないです。自分の頭で考えるって、えらそうな言い方ですが、解脱のようなプロセスだから、自ら気づいてもらうしかないようにも思う(ほんとかな? いやもっと科学的にこの"解脱"を分析できているはず。)
そういえば、ある学生さんと面接して、導入ゼミでこの本を使ったと聞きました。私は心のなかで(イイね!)と思ったのですが、その人いわく「つまらなかった」そうで、別のゼミでアイエンガー『選択の科学』をみんなで読んだら「面白かった!」と。
 く、くだらない。(もちろん、前者のゼミが実際にダメで、後者のオーガナイズが良かったのかもしれないけど、)この本を読めない人にとっては、『選択の科学』は面白いに決まってるさ。一橋もこのレベルなのだなと。『選択の科学』を読めば、みんな「あるある!」で盛り上がるだろう。でも、それは知的創造とは似ても似つかない別物。十分面白いのだから、一人で読め!。もちろん、そうしたレベルの人が集まれば『選択の科学』をテキストにして、漫画やラノベ以外の読書や研究周りの面白さを体験するには、ちょうどよいのかもしれない。(愚痴をいっても、始まらないね。自戒) とにかく、読む・書く・議論する。これにつきます。がんばってね。私なりに精一杯応援します。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』読了


Nさん(3年)の推薦図書。ミステリーもそうだけど、SFって、かぐや姫みたいな神話などを別とすれば、新しい文学手法なんですね。近代警察の組織化がミステリーを生んで、近代科学による技術発展がSFを生んだのだから、ここ100~200年くらい。冒険・謎解きの要素ではなく、異星人やタイムトラベルなどの仕掛けがあるからこそ際立つ文学的素材はなにかという面白さがあるのかな。
『アンドロイド...』、界隈では有名な小説でしたが、私もついに読みました。機会をくれたNさんに感謝。火星開拓の奴隷として開発された(人間と見分けはつかない)アンドロイドが、自由人となるべく地球に逃亡してくる。それら逃亡アンドロイドを処分するのが主人公の警官としての任務で、人間にまぎれて地球に潜むアンドロイドを見分けるために警察は”共感力”テストを使っている。タイトルにある「電気羊」については物語冒頭に次のような種明かしがある:自然環境が壊滅的に荒れ果てた地球では、生体としてペット(羊とか)を飼うのがステータス・シンボルになっており、それがかなわない場合には偽物のロボットペット電気羊を飼うというわけ。そんな設定。
さきほど息子も読み終えて、大変面白かったようです。「知能[自我]をもったアンドロイドなんかそもそも作らなければいいのに」とのこと。(1箇所だけ女との絡みがあるのが、村上春樹もそうだったけど、ハードボイルド小説的妄想でちょっと遠慮したいところ)。
自我の定義の拡張(自分ではない他人に、本当に"自我"はあるのか...)がどこまで可能かというレトリック。SF的ギミックが生きる問ですよね。Yさん大好きなスタートレックでいえば、TNG第138話「甦ったモリアーティ教授」。エンタープライズ艦内にある、ヴァーチャル・リアリティ装置「ホロデッキ」に再生された天才モリアーティ(注:ホームズの宿敵ね)が自我を持ち、ホームズごっこをしたい人間側の都合でON/OFFされることのない、自由な生存権を要求するのです。そのために、エンタープライズ号のコントロール権にアクセスして、乗員全員を人質にとるというストーリー(そうそう、マット・デイモンがスピーチで紹介した、シミュレーションセオリーがでてくるよね)。
 ブラッドベリとか、アーサー・クラークとか、すばらしいSF作家がでてきたのは、やっぱり当時は、宇宙開発が人類のフロンティアで夢があったんですね。それはそれで良い時代だな。安部公房も『鉛の卵』(80万年の人工冬眠から覚めた人の話)、『R62号...』(リストラされて自殺しかけた男がロボットとして蘇り...)とかSF小説書いているね。
あとは、同テーマでいえば、鉄腕アトムはぜったいにはずせない。

愛するロボットを冤罪で処刑されたお茶の水博士の叫び。「アトム今昔物語(2) 第2章ロボット人権宣言」。もちろん、モチーフは黒人差別や公民権運動。投票権を推進するだけで白人に焼き殺されたりした時代はつい最近。手塚治虫ヒューマニズムだな。
よい週末を。








マーク・ピーターセン『続 日本人の英語』(岩波新書、1990)、Iさんのおすすめ図書、

2019年10月10日

「これぞ大学で出会いたかった授業」早稲田政経『実験経済学』

早稲田大学の学生さんとは非常に相性がよくて、絶賛コメントをたくさんいただきました。「この先生の講義を聴けることが大きな財産」、「学問を楽しいと感じられる政治経済学部で唯一の授業」など(こちらに抜粋しています)。(追記:早稲田大学ティーチングアワード総長賞をいただけることになりました、大変光栄です。)
 あるいは「自分が普段何も考えずに生きていたか、自分の無知さを再確認することができた。もっと勉強を重ねて色んな分野の知見を広げていきたいと初めて感じさせてくれる授業だった」。
「うまい棒」で人気をとってるわけではないので、
このエントリーを書かせていただいております。
早稲田大学政治経済学部で2009年に開講された『実験経済学』を11年間にわたって非常勤講師として担当させていただき、これまで延べ3790人が受講してくれました。学生のみなさんや、関係する先生方には本当にお世話になりました。絶賛していただいたコメントには私もそれなりにうなづくものがあります。(注:シラバス自体は標準的で、「実験経済学」の内容として市場実験、利他性、公共財、リスク選好・時間選好などを紹介しています。)

 自画自賛は多分に含みつつも、早稲田の学生さんがくださった絶賛コメントを紹介しつつ、どのような取り組みが高く評価されるのか、そしてそれはなぜなのかを以下ですこしだけ紹介します。大学教育に携わるみなさまや、大学で経済学を学ぶ方にすこしでもお役に立てることを願います(自画自賛で読むに堪えないという方は、どうか読み進めないでください)。

5つの”特長”

コメントから講義を自己分析しますと、評価要因は大きく5つにあるようです。

1. 経済学の位置づけの整理
経済学の”机上の空論”というイメージを取り去ってくれた点。」「ミクロ経済学・マクロ経済学を受けるまえに受けると良い講義」「経済学がはじめて面白いと思った」「公平性・平等について重点を置いて議論がされている素晴らしい科目」

2.学生との距離が近い
「早稲田の他の大講義室でのどの授業よりも学生との距離が近い」「単位のためだけではなく内容を聞きたくて行きたくなる授業」「学生を巻き込んだゲームなどで私たちの興味を経済学に惹きつけてくれた」

3.「今までのなかで一番おもしろい」と感じられる仕掛け
「これだけユニークな授業をしてくれる先生は他にいない」「今まで講義を受けた教授の中で、最も生徒に寄り添う教授」「大学の中で最も面白い授業」「今まで受けてきた授業の中で最も学生に興味を持たせようという意識」「こんなに面白くためになる授業をしてくださる教授は他にいない」

4.人生やキャリアについて考えるきっかけ
「まさか経済の授業で、自分が人としてどうありたいか、どう生きていきたいのか、考えさせられるとは思ってもみませんでした。4年生の今、この講義を受けることができて、本当に良かったと感じています。」「先生の授業はコリ固まった僕の思考に、ひとつ光をさしてくれたような気がして、とても感謝しています。いまはこのワクワクに身を任せてみたいなと思います。」

5.「これぞ大学で出会いたかった授業」と思うテーマ性
「自学自習の精神を著しく感化する授業」「未来の世の中をよくしてくれ、というメッセージがすごい」「人間として大事なものを教えてもらった」「思考を強制するのではなくあくまでも生徒の自主性に委ねている点。その一方で先生のメッセージははっきりしていて響く人には響くと思います。」

このエントリーでは、上記の1~3までの点について書いてみます。
字数も限られていますので全方面に向けて再反論は用意していませんのでご了解ください。


1.経済学の位置づけの整理

エッセイのエントリーでも書く(予定)ように、経済学を積極的に学びたくて経済学部にすすんだ人は実は少ないのです。経済学の研究対象や手法について関心も前提知識もないところに、ミクロ経済学理論を学んでも、なかなかしっくりこない人も多いようです。私自身も大学1年のときの経済学への期待と失望とがあり、悩んでいたので、大いに共感します。
 だからこそ、①社会科学としての経済学の特徴、②顕示選好理論のエッセンス、③「経済学を専門として役に立たせる」などを話しています

 ①いろいろな社会事象のなかで何を問題とし分析対象とするのか。そして、その事象を社会科学としてどのように捉えるのか。例えば(初歩的に)、法学なら規範や制定法の観点からみるかもしれない、社会学なら歴史や文化や権力関係などだろうか、政治学なら制度かもしれない。経済学、特にミクロ経済学は「目のまえの社会事象は、なにかの最適化の結果の集合なのだ」とみなすのが特徴です。だから最適化問題を解く練習をすると話します。この前提を踏まえて、顕示選好理論や合理性(rationalizability)に話をつなげます。

 次に、効用関数など非現実的だという疑問に答える形で、②顕示選好理論のことを話しています。非現実的すぎるという点については、まず、ミクロ経済学の公理主義的アプローチ、フリードマン(1953)「実証的経済学の方法と展開(下図)」のアイディアを紹介解説します。続いて、”規約主義”や非ユークリッド幾何学なるものの発見について触れることで、公理を基盤に構築される理論体系のイメージをつかんでもらえるようです。
「仮説はその仮定の現実性によってテストされうるか」
高校までで学習する数式モデルは、数学科目でのモデルか、古典的な物理学モデルが主だと思います。前者であれば、そもそも抽象度が高く、工学応用を知らないかぎり(そして経済学部に来るような高校生が数学の工学応用を学ぶ機会はとても少ないはずです)現実との連関を気にする必要がありません。後者であれば、公理に基づくモデルというよりは、物体が放物線を描いて落下する「運動法則」や、バネと弾性力の「フックの法則」といった、現象そのものに理論の基盤を見出すことができそうなモデルです。
 ところが、ミクロ経済学は、そのどちらでもありません。抽象度は高いものの、その対象は「価格」といった極めて人為的な現実にあります。そのくせ、そのモデルの基盤となりそうな現実を探そうとしても教科書には一切でてこない。ここが混乱のもとでもあります。そこで、行動主義的アプローチ(≒顕示選好理論)を紹介しやすい実験経済学の利点が活きます。
まず、ある人の行動を、第三者である研究者が理論化モデル化するには、おそらくその人の脳内活動を直接観察するほかないだろう。それが不可能な現在は、とりあえずなにか「効用」なるものがあって、それを最大化しているかのようにその人は行動しているのだとみなす”as-if”アプローチで理論を構築する他ない。効用最大化なんて本当はしていなかったとしても、観察される行動と効用最大化理論が整合的であるかぎり"as-if"アプローチも悪くない。ただし、すこし心配になるのは、どういった行動に対してなら理論は整合的でいられるかだ。これにはすばらしい定理(Afriatの定理)があって、基本は推移性(と完備性・局所非飽和性)を満たしさえすればOKだといえる。逆に、推移性が満たされない行動に対しては"as-if"理論アプローチは基本的にお手上げである。だからこそ、教科書の最初に「推移性」が仮定されている。教科書によっては「人間はこうあるべし」だとか「推移性も満たさないような行動は分析に値しない」とも読める記述があるがミスリーディング。そもそも推移性が満たされないと標準的な理論では手も足もでないという謙虚な姿勢でもあるのだ。
映画『ウォーゲーム』(1983)の最終場面も紹介してます
といったことを話します。ただし、こうしたことを、このままストレートに話してもチンプンカンプンなので、三目並べ(Tic-Tac-Toe)で学生さんと講義中に対戦してツェルメロ定理を紹介したり、数当てゲーム(p-beauty contest game)を解説したりする場面で伝えられるよう努力しています。
 ツェルメロ定理でいえば、ゲームのルールが決まると同時に、ゲームの結果も決まっているようなもので、公理主義的アプローチも「公理→→定理」を1セットとして運用すべきである。そして、どのような公理が目の前にある現実を表しうるのか考えたり、あるいは、現実社会のどういった部分を公理として議論をスタートさせるかが”適切か”を考えたりすると伝えています。

ここで述べたように経済理論が”規約主義”でいう規約にすぎないとすれば、当然、非現実的すぎて役に立たないといった批判が待っています。そこで専門として役に立っていることも話します。

③「経済学を専門として役に立たせる」
学生さんは一般的に労働市場で評価されるスキルについては学習意欲があるようです。そうした観点から、現実的でない経済学を学んだところで「役に立たない(≒高収入を得られない)」と誤解されてしまうようです。それを否定するひとつの手段として、オークション入札戦略のナッシュ均衡の導出をしています。最初の1階条件までをアイディアで説明し、微分方程式を一歩一歩展開し、均衡戦略を導出します。
オークション入札戦略ナッシュ均衡は微分方程式を解いて得られる。
導出過程をみながら、”数学が本当に必要な希少例”として紹介している。
学部レベルの経済学では、数学をわざわざ使わなくてもグラフを描くだけで同じ結論が得られたり、数式を使っていてもその数値に何の現実性もなかったりということがよくあります。ただ、このオークション入札戦略では、期待消費者余剰の最大化の1階条件を整理していくと、どうしてもネイピア数や積分が必要となります。そして、1位価格入札、2位価格入札、All-payオークションをひとつひとつ紹介し、自分なりの入札戦略を考えてもらいます。そして、売り主はどのオークション方式を採用するのがよいのかと聞き、その後に「収入同値定理」を紹介します。多くの学生が驚く内容のはずです。
 こうした知識は、大学院レベルの教科書冒頭の数ページで解説されるもので、大学院レベル(=専門家レベル)は、この難しいモデルを出発点に様々に議論を拡張させているものなのです。そして、あるオークション研究者が受けた「400万円払うから、なにもしないで下さい」というオファーも話します。
 さらに、司法省に就職し、週休2.5日で年棒かるく1000万円を超えるジョブに就いたクラスメート(PhD)の話や、私自身が移転価格チームから年棒1000万円超のジョブオファーをいただいた話をします。また、例えば、世界銀行の採用情報(英語)をスクリーンで一緒にみて、応募資格が「最低でも経済学修士号(できれば博士号が望ましい)」とされているのを確認します。
世界銀行の採用情報のほとんどには「最低でも修士号。博士号(phD)が望ましい」とある。
経済学が就職に”役に立たない”と言ったの誰!? と思ってくれるはずです。ただ、PhDを取るわけでもない学部学生さんにはどう経済学が”役に立つ”のかは、また改めて書く機会があればと思います。
 これだけではなく、たとえば、
効率と公平がバランス良く議論されている。経済学なので効率性が一つの重要な価値基準として議論が進められているが、公平性についても注意が払われているし、差別や平等の問題についても非常に重点を置いて議論されていると思う、これはすごく大事なことだと思う。
というコメントもいただきました。これは、市場実験のときに、余剰が最大化される≒取引人数が最小化されるであること、逆に、相対取引で取引数を増やすと余剰が減ってしまうことも数値例で示した講義への評価もあると思います(2009年からこのトピックを話しています)。また、本エントリー後半で述べるように、実証分析(positive analysis)の経済学をもって安易に現状肯定してはならないことも伝えていることを評価してくださったコメントだと思います、ありがとうございます。
 
他にも、「市場」という社会制度は、経済社会に散在する情報(買い手の好みや懐事情、作り手の技術制約や原価情報などなど)を均衡価格に撚りあげていくシステムなのだという見方も説明します。

こうしたトピックや雑談によって「経済学の全体像がみえた気がする」という感想につながっていくのかなと思います。

2.学生との距離が近い

実験経済学という講義の性質上、参加型にはしやすいかと思います。参加型ゲームとしてどのような仕掛けが活きるかは別途述べさせていただくとして、「過去受けた授業の中で生徒の意欲と興味を最も高めている先生」「大学では珍しい新スタイルの教え方だと思う」というコメントからは、”距離が近い”印象を評価してくださっているのかなと思います。
受講生は毎年上限いっぱいの340余名。写真のとおりの大教室でも「先生との距離が近い」と
書いてくださってうれしいです。
特に意識してやっていることはないので、やや意外な感じがします。でも、コメントありがとうございます。
 心当たりがあるとすれば、たとえば「質問は? わからないところはありますか?」ではなくて、「気になったところ、こう考えたらどうなるのだろう? があったら、ぜひ教えてほしいです」という言い方をするようなところでしょうか? わからないところを大勢の前でさらけ出すようなのは尻込みしますので、「質問」という言葉は使わないほうがよいかなと思っています。
 質問やコメントをいただけたら、まず大教室なのに挙手して質問してくれたことを感謝する。次に、質問に答えるのではなく、まず質問内容を繰り返して確認し、教室全体に共有する。また、質問した人の気持ちに同意する(質問そのものは専門家からすれば、すでに解答が得られているようなものも多いのですが、初習者が疑問に思う気持ちはとても大事です)。このステップを経てから、質問に回答するように心がけています。質問してくれた場合は、なるべくその人のところまでいってマイクを手渡して話してもらうようにしています。
 このようなところでしょうか...?

みなさんが出してくれたレポート(右図:合計76万5000字)を読んで、響くフレーズや考えさせられるフレーズを折に触れて、講義中に紹介したりするのもよかったのかもしれません(講義中に紹介する旨はもちろん了承済み、です)。


ほかにも[続く。執筆中]

2019年8月29日

「これぞ大学で出会いたかった授業」とまで書いてくださる早稲田の皆様。本当にありがとう!

早稲田大学ティーチングアワード総長賞
田中愛治総長から直々にいただきました
実験経済学をずいぶん長く担当させていただきました。今年の匿名の学生授業アンケート結果をみてみます。あとで別エントリーで自己解説も試みます。どういった講義内容や働きかけがこのようにポジティブに受け取っていただけるのか、共有させていただければと思います。
 早稲田大学政治経済学部「実験経済学」を履修してくださった多くの皆様に心より感謝いたします。本当に本当にありがとうございました。 生涯のこる良い思い出になります。みなさんもどうかお幸せに。

以下、2019年度アワードに推薦する理由部分:
  • 総じて興味深い、面白い授業だったから。
  • 学生を巻き込んだ形で授業内で経済学の実験を行うことで、より授業内容の理解を深められる点。
  • 思考を強制するのではなくあくまでも学生の自主性に委ねている点。その一方で先生のメッセージははっきりしていて響く人には響くと思います。
  • 生徒に分かりやすい説明。
  • 今まで講義を受けた教授の中で、最も生徒に寄り添う教授だと感じたから。
  • 講義内容はもちろん具体例がわかりやすく、楽しく聴講できたからです
  • それに値すると思ったからに他ならない。
  • 大学の授業はこの授業のように面白く生徒の関心を引きつけるものであると考えるから。
  • 非常に有意義であったから。
  • ダントツで分かりやすいし、こんなに人として尊敬できる人はいません。レポートのフィードバックを事細かくして、一人一人に親身になってくれて感動してしまいました。
  • 学生参加型のゲームをもとに理論と現実の乖離を理解でき、一方的に教えてもらうよりも理解度が高いと感じた。
  • 1回1回の授業が工夫されていたから。
  • 大学では珍しい新スタイルの教え方だと思うから。また、単位のためだけではなく内容を聞きたくて行きたくなる授業だから。
  • 純粋に教員の講義が面白かった点と、課題へのフィールドバックがしっかりとあった点。
  • これまでの講義の中で一番話が面白く、政治学科の人にとってもわかりやすい経済の授業だったから。
  • 非常に面白かった
  • この先生の講義を聴けることが大きな財産です。経済学、実験経済学という領域を超えて、真に聞く価値のある授業です。これまで学生の評価が高いのは、単位がとりやすいからや簡単だからという安易な理由ではなく、彼の持つパーソナリティや生徒を引きこむ彼の進行にあると思います。経歴や人生経験も含め、これぞ大学で出会いたかった授業であり、講義に出席できて光栄でした。もし大学が竹内先生を手放すとしたら、教育機関として大きな損失ではないでしょうか。もし可能であれば、またもう一度彼の授業をとってみたいです。宜しくお願い致します。
  • 難しい内容を分かりやすく説明していたから
  • 大人数のクラスであるのに提出したレポートのフィードバックをくださったことに驚いた
  • 面白い授業でした。一方通行の授業をする人が多いこの早稲田大学で、一橋大学からとても良い客員教授を招くことができたのだなと思います。携帯を使いがちな生徒に対して、授業を聞いた方が良いと悟すお言葉も親切な方だなと思いました。ぜひ、実験経済学の中級編のような形で段階を踏んだクラスを増やして頂きたいです。
  • ただの授業として受けるのではなく、今後の過ごし方、自分の身の振り方について考えるきっかけになったからです。もっと早いうちからお会いしたかったです。
  • いわゆる普通の授業ではなく、今までの授業の中で最も学生参加型だった点。
  • 生徒に寄り添ってインタラクティブな授業展開をしてくださった。もちろん授業の内容も素晴らしかった。今までで1番有意義な授業だった。
  • 生徒目線
  • エッセイに対してコメントをしていただけたのに驚きました。自分としてもこだわっていた部分を、先生が印象に残ったと言ってくださったのでうれしかったです。あれほどの大人数の講義で学生が参加型の授業はほかにないなと思います。
  • とても分かりやすい授業、そして、授業で取り上げられるテーマが大変興味深いものであったから
  • 面白い
  • 生徒を巻き込んで授業が行われていたところ
  • 生徒を引きつける授業をするから
  • 春学期に提出したレポートを全て読んだ上で一人ひとりにフィードバックをメールで送っていたため、授業に対する熱意や真摯な姿勢を感じたから。
  • レポートへのフィードバックが親切だったから。
  • 学生に対して熱心に向き合った講義を行っていただいたから。
  • 取っ付きにくそうな内容をわかりやすいスライドや例を用いて、授業をし、理解を深めることができた。授業の内容もさることながら、それ以外の分野や人生のことまで学びがあった。
  • 自身の話を交え、学生が講義に参加しやすい状況を作ってくれること。もっと話を聞きたいと思わせてくれる話をしてくれる。また、受講生全員にレポートのフィードバックをくださり、先生の真摯に向き合う姿勢が嬉しかった
  • とてもわかりやすい授業で、生徒に親身になってくれて、良い教授だと思ったから。
  • 経済学の知識というよりは人間として大事なものを教えてもらったと思います。また学生1人1人のレポートに対して個別にフィードバックしてくれたりと親切です。11年間お疲れ様でした。最後に先生の講義を聞けて私はラッキーでした。
  • 大多数のレジュメだけ配って一人で進めていく授業とは異なるし、先生としての役割を果たしているから
  • 出席がないにもかかわらず、出席したいと感じる授業だったため。
  • 授業中でも生徒と一緒に実験を行っていて、非常に理解しやすく面白い授業であった。
  • 学生の課題一つ一つに対してフィードバックを行いメールで送ってくれた。正直感動した。
  • 論理性を損なうことなく、話術でもって面白く教えてくださったから。
  • 楽しい授業だった。
  • 非常に興味深いから。先生の話が面白いから。授業でやるゲームが面白かったから。
  • 今まで受けた講義の中で一番面白く、内容も有意義であったため。
  • 先生の生徒に対する熱意があった
  • 学生に未来の世の中をよくしてくれ、というメッセージがすごい。学問的好奇心を超えて、人生について深く考えさせられた。こんな熱意のこもった先生は滅多にお見掛けしません。
  • 早稲田の他の大講義室でのどの授業よりも学生との距離が近くて、単なる経済学という学問だけではなく経済学から派生してより視野に広い話も聞くことができたから。
  • 分かりやすい説明がなされているだけでなく、一人一人のレポートを読み返信してくれるなど、教授の学生の育成に対する熱意が感じられた。また、授業の中でよりよく生きるための方法なども話してもらえるため、勉強や大学生活へのモチベーションが高められ、1年生の時に履修できなかったのが悔やまれるほどである。自信をもってとってよかった授業であると言える。
  • 学生の興味を引き出すための引き出しを本当に多くお持ちでした。とても聞いていて面白く、単に単位を取るだけの授業という枠を超えてためになる授業だったと思います。
  • 大学の中で最も面白い授業だった。
  • 面白く、含蓄のある講義であったから
  • すごい難しい内容でも授業を分かりやすく、面白く進めていたことで、自らも進んで勉強したくなるような内容であった。
  • 非常に講義が面白かったため。
  • 生徒を全く飽きさせることの無い講義であった。内容ももちろん面白く、雑談を交えた講義がとても魅力的だった。出席がないにも関わらず、生徒の数が多いということはそうゆうことであろう。
  • これだけユニークな授業をしてくれる先生は他にいない
  • 面白い
  • 今まで受けてきた授業の中で一番面白い授業だと感じたからです。
  • 熱意のある先生でした
  • 気分的に推薦したいと思った
  • 最後だからです。
  • 他の講義よりも学生が参加できる機会が多く、有意義な時間を過ごすことが出来た。
  • 経済学における様々な事象を懇切丁寧に解説してくださり、経済学に興味を持つことが出来たから。
  • 早稲田での教鞭が最後だからです。
  • 実験経済学のみならず人生への示唆をくれた
  • 授業が非常に有意義なものであったため。
  • 有意義で面白い授業であった。経済学を身近に感じることができた
  • 本当に面白く、興味深く、眠くならない授業であった。
  • 先生の授業を受けられてよかったなぁと心から思えた。今年で最後なのが本当に残念です。
  • とてもわかりやすく、楽しい授業であった。
  • とても面白いから
  • 実験経済という難しいコンテンツでありながら、身近な例を用い学生の興味を惹くことのできる素晴らしい先生だと思ったから。またエッセイに対するフィードバックを一人一人にしており、熱心な印象を受けた。
  • 早稲田や日本社会の良い所悪い所を躊躇うことなく教えて下さった点。
  • 経済学の様々な観点を紹介してくれて興味深い話がきけた。また、学生を飽きさせない工夫も随所に見られ、とても良い授業だった。
  • 他大学から来てこれまで11年間学生に向き合い、考える授業を提供してくださった先生を是非ティーチングアワードに推薦したいです。
  • うまい棒の実験や実験を奨学金への寄付で行なったりする所が他の授業にはない面白さだと感じる。
  • 生徒目線のいい先生だったから。
  • 授業に夢中になることができた。
  • 経済学を楽しく学べた。堅苦しい雰囲気出なくわかりやすかった
  • 授業の進め方
  • 授業内容が受けた授業の中で1番面白かったから
  • 実験経済学の教え方が素晴らしく学生の自学自習の精神を著しく感化する授業内容に感じた。また、経済学だけでなく、女性差別など様々な問題に対して見識や意識が深まったから。
  • 有意義な授業と実践的カリキュラム、教授と生徒のフィードバックを通じた参加型の授業。かつ、最新の学会での論文を紹介するなど授業に対する熱意は素晴らしい。
  • 学生を巻き込んだゲームなどで私たちの興味を経済学に惹きつけてくれたから。授業内容も全体的に興味深い上に、一人ひとりのエッセイにコメントをつけて返してくださるという丁寧な対応をしていただき感動したから。
  • とても教えることに熱心な方で非常に多くの実験事例を交えて説明して下さり、今まで受けた科目の中で一番面白く、かつ学問的にも興味深い講義だった。特にジェンダーに関する授業が印象に残っている。日本の学生はあまり馴染みがないと思うが、知っておくべき重要な話題だと思う。日本人の男性教授というカテゴリーでジェンダー関連の事情に詳しく、語ることができる先生のお姿に感銘を受けた。学期を通してとても有意義な講義だった。
  • 生徒の考えを尊重しているし、楽しい授業だったから
  • 学生が授業を受けやすいような体制づくり、復習テストなどを設けてくれた
  • 生徒思いの先生だからです
  • 学生の興味を引く工夫がなされていた。
  • 学生にとって実のある課題を出してくださった
  • 単純に興味深く、楽しかった。また、実験をやれて、経済学を体感できた
  • 学生に寄り添う姿が素晴らしかった。
  • 学生参加型のゲームを行うなど、主体的に取り組めるようなプログラムが多く、体験しながら学ぶことができ、非常に有意義であったから。
  • 授業に飽きないようにさまざまな工夫をしている
  • 説明が丁寧で、私たちの実体験に即した分かりやすいものだった。学生の参加も促され、主体的な授業が行われていた
  • 先生の人情味がすごくあふれた良い授業だったから。
  • 淡々とした授業ではなく、工夫の凝らされた授業で引き込まれたから
  • 竹内教授の授業は独創的で、経済の見方が変わったから。
  • 授業の1つとしてだけでなく、学生生活や今後の人生への態度についても考えさせられ、将来の選択肢も広がるとても有意義な授業であった。
  • こんなに聞いていて面白いと思う先生は久しぶりだったから。
  • あまりいないタイプの教授で生徒への愛が伝わる講義であったから。
  • 授業内容が興味深い。また先生の工夫がとても伝わってきた。就職活動もありあまり参加できなかったのが残念です。ありがとうございました。
  • 先生の話が上手で分かりやすく、資料も充実していた。また、学生のレポートすべてに返信するなど、学生への対応に感動した。
  • 非常に面白くかつ、わかりやすかったため
  • はじめて第授業でレポートに対してフィードバックを頂いたから。
  • ためになる
  • 生徒に対して手間をかけているから
  • 学生の参加を促していた。授業内容が面白く、毎回参加しようと感じた。あまり得意でない経済分野も分かりやすく教えて下さり、苦ではなかった。
  • 話が面白くかつ分かりやすかった。実験経済学を学んでみたいとより強く思った。
  • 授業内容に関連させて、学生がこれからの人生に必要な様々なことを授業中に語ってくださった
  • 教える授業であるとともに、考えさせられ、学ばされる授業だったから。
  • 今まで受けていた授業に中で最も教授の授業に学生に興味を持たせようという意識を感じた
  • 授業以外のことについてもたくさん学べて、とてもいい先生だと思いました。
  • 面白かったから
  • 他の学生にもぜひ受けてみてほしいと感じたから
  • 内容がためになる上に面白く、先生の感じもとてもよかったから
  • 学生が経済実験のゲームを行うなど学生が能動的に取り組めるような授業を行なっていたため
  • 生徒思いの先生だから。
  • 楽しく、面白く、ためになること。
  • 授業が面白く且つ、役に立つから。
  • 教員の話す講義内容、人間性、学生への思いやりなど、どれをとっても素晴らしいと感じた。
  • 授業中に音楽を流す等、画期的な授業で大学にはこういう先生もいらっしゃるんだと視野が広がりました。
  • どんな学生でも興味を持つような工夫が多くされていた。また先生も学生の目線で話してくれるためわかりやすく、面白いため。
  • この学部で一番楽しかったから
  • 学生が全く怖気付くことない口調で語るため、内容が入ってきやすかった。
  • 政治経済学部に入学した理由・目的について書いたエッセイに対して、一人一人に対してのコメントが返ってきて感動した。生徒に寄り添った授業だった。
  • 小テストを実施する、授業のまとめプリントを作るなどして、学生が勉強しやすい環境を作っていたから
  • 話がわかりやすく興味をそそられた。
  • こんなに面白くためになる授業をしてくださる教授は他にいないと思います。
  • 丁寧でわかりやすいかつ、楽しい授業だった。学生の学習のフォローも手厚かった。
  • 学ぶことを楽しいと思えるような授業だった
  • 経済学の面白さを教えていただきました。
  • 本当に楽しく学べたから。
  • 現在バイアスが面白かった
  • 非常に楽しく学べるため経済学を好きになる授業だった。必修にしてもいいくらいだと思う
  • 今期履修した科目の中でも特に意欲的に参加することができた
  • わかりやすくとても面白かったから
  • 経済という枠組みを超えて、学生として、人として成長できたから。
  • 今までとった講義の中で一番楽しみながら学べ、とても効率的であったと思うから。
  • 「(大学の)講義らしさ」という枠に囚われず、学生の興味を引く様々な工夫がなされていた点が非常に新鮮だった(うまい棒ゲームなど)。また、大教室での講義であるにもかかわらず、小レポートにひとりひとりコメントをくださるなど、学生の「個」を重んじる講義だった。興味のもたせ方、学生のモチベーションの引き出し方など、すべて手を抜かず学問、学生を考えた講義であったと感じる。
  • 学生の興味を引く工夫が常に見られたから
  • 学生のニーズを完璧に理解していて、それに対する適切な講義を行っていた。また、興味を失わせることが無いように様々な工夫がされていた。話し方も簡潔でわかりやすく、いなくなってしまうのが惜しい先生だと考える。以上のことからティーチングアワードに推薦する。
  • 授業内容が興味深いため。
  • テスト前のサポートもしっかりしていたし、暗記を通した知識よりも、より本質の理解を深めるための授業を行ってくれた。
  • 「教えること」は「感じさせること」だと思いました。機械的な学習の場ではなく、竹内先生の授業は直観的で、自ら考えて学ぶ機会を与える、そういう空間でした。
  • 話が面白い
  • 経済学にあまり興味のなかった政治学科の私を、経済学を中心に学んでいきたいと考えるほど素晴らしい授業でした。今期で最後は本当に悲しいです。近い将来にまた開講してくださることを強く希望します。
  • 大人数の講義であるにも関わらずレポートに対するフィードバックが丁寧で、教員の鑑だと感じたから。
  • 最高の先生だからです。
  • 生徒への対応が手厚く、内容も濃い。なによりおもしろい
  • 授業中に学生に対して丁寧に接してくださったり、演習問題を用意して学生の理解度を深める工夫をしてくださった点。
  • 一見するとわかりにくい経済学の理論を実験で鮮やかに示している。
  • 実験経済学を面白く教えていただけた上に人生で役立つ知識なども教えていただけたから
  • 前期で一番面白かったから
  • 好奇心をそそられる、勉強が面白いと感じさせてくれる授業をしてくださった。
  • 生徒に授業内容を理解させようという意思が感じられる。
  • 内容自体は非常にしっかりとしつつも、学生の興味を湧かせる工夫が数多くあったので。
  • 時間を忘れるほど夢中になれた講義でした。
  • 親しみやすい
  • 経済学が与えてしまう「人間は利己的でよい」という誤解を解いてくださった
  • 11年間の講義をたたえて。
  • 一方通行ではなく、学生に寄り添って講義をしてくれた。学ぶ意味、面白さを伝えてくれた。学生への愛が伝わってきた。
  • とても分かりやすく、先生も学生思いの良い先生だったから
  • 面白くて最後まで飽きさせない授業だったから。
  • 教育者として優れた人物であったと思うからです。
以下、「良い点」。重複もあるようですが掲載。
  • 分かりやすいアンケートや実験結果を通じて学習が進む点。
  • 経済学の授業で忘れられがちなことを教えてくれる経済学の授業。
  • 実際に起こっている現象から経済学を学べる。
  • 受講者も授業内で実際に実験に参加することで、実験経済学を体感できる点
  • うまい棒
  • 講師の質。話し方。
  • 今までは理論経済学しか学んだことがなかったが、現実と理論には大きなギャップがあるということを学べた。また、そうしたパラドックスは多種多様にあり非常に興味深いと感じた。
  • 教授の話し方。学生を引きつける魅力があった。
  • 先生が楽しそうに授業をされているから、受けている側もフローな気持ちで授業を受けることができた。 コミュ力など、勉強を、そういうことにつなげて考えるという新しい考え方を教えてもらえたこと。
  • 講義が面白く関心が持てた。
  • 学生が関心を持ちやすいような講義を教員が積極的に展開してくださる点。
  • 将来に役立つことを教えてくれた
  • 早稲田の先生には独りよがりな方が多いが、竹内先生は学生との対話を増やし、学生からのすべての質問に丁寧に答えていた。また学生が意見を申したときは、自らの信奉する理論を押し付けるのではなくで理論を紹介した上で、学生の意見を尊重していた。また学生が授業を聴くような環境を作るために最大限の努力をされていた。竹内先生は学生の自主性を重んじ、授業内容も飽きがこないよう最大限の工夫をしていた。また自主性は重んじていたが、私語など他の学生に迷惑がかかる行為については逐一注意を促していたことも付け加えておく必要があるだろう。
  • 他の授業と一線を画すわかりやすく面白い授業
  • 行動経済学に対する興味を増す事が出来た点
  • 大人数での講義なのにも関わらず全員が授業に参加してしまうような手法
  • 授業の進め方が上手でした。面白かったです。 たまに、雑談から本題(?)に入っていく瞬間が分かりませんでしたが、通して興味をそそる授業でした。 受け身だけになりがちな他の授業とは違い、参加型だったりクイズ形式で考えさせてくれるところが魅力的でした。
  • 内容以上に、生き方や大学生として大事な時間の使い方のようなことについて考えさせられる先生の言葉をいただけたのが4年ながら一番有意義でした。
  • 経済学科を選んだ理由を再度考えて授業に臨むことができる。
  • 生徒の人生に影響を与えたこと。私自身も非常に感銘を受けた。
  • クラシック音楽
  • 学生が参加型の授業であり、今後役立ちそうな内容も多かったです
  • 実践的な経済学を身に着けられる
  • 解説が分かりやすい、生徒を巻き込んで授業が行われていたところ
  • 実験という名の下で、ちゃんと大きな教室で実験してくださってる。
  • 先生の話が面白い
  • 経済学を身近な場面での実験を用いて説明しているところが興味深かった。
  • 理論のみならず、社会のあり方や、どうあるべきかという事とつなげて話してくれた点。
  • 講義の内容が具体的な例を用いた経済学の説明だったので理解しやすかったです。
  • 先生の話が面白く聞きたいと思える講義を展開してくれること。
  • 論文やグラフをスライドにあげて、細かく解説してくれて、とても分かり易かった。
  • 先生が好き
  • 出席点がないにもかかわらず、出席したいと感じる授業でした。
  • 図などがあってしかも大きくてよかった。学問自体も好きだった
  • 課題に対して一人一人フィードバックしてくれた点
  • 先生の小話が意外とためになるものだった。
  • 実験経済学にまつわることはもちろんだが、それ以外の雑談もためになることがあったと思う。
  • 学問の内容に加え人生観についても考える機会となった。
  • 学問的な事柄だけでなく、ジェンダーや就職など生き方全般にかかわる大切な考え方を教えていただきました。一方的な授業でなく、質問を頻繁に呼び掛けたり、生徒全員にフィードバックコメントを書いていただいたり、授業中の実験に生徒を参加させたり、生徒の質問に応じて授業内容を変えていただいたりと、大教室なのに生徒と個人的に丁寧に交流をしようとする竹内先生の姿勢がとても素敵で、授業にもっと積極的に参加しようという気持ちになりました。大学を卒業した未来を考えさせてくれるとても有意義な講義でした。
  • 実験経済学の知識だけではなく、大学生というこの時期に人生を見直せるような話も聞けたこと。
  • 教員が何より頭がよく、話すのもうまく、経済学に詳しくない人にも分かりやすい説明がなされていた点。
  • 学問としての経済学と実社会の接点を、様々な研究事例を通して学べたこと。
  • とても生徒に近い存在で面白く授業を進めてくださったこと
  • 生徒に問いを投げかけていた点。
  • 先生の話である。話し方や伝え方がとてもうまく、とても興味深く話を聞けた。他の教授も見習ってほしい。久しぶりに面白講義であった。
  • 楽しめたこと。行動経済学について多角的な観点から学べたこと。
  • 全部
  • 教授の話し方が、とても聴きやすくわかりやすかったことです。一人ひとりのレポートに対して一言ずつフィードバックをされていたことがとても印象に残っていて、学生のことをよく考えていらっしゃる教授だと思いました。
  • 面白い実験結果などを紹介してくれた点
  • 学生が疑問点を全体で共有する時間が設けられていたため、他の学生の発言によってさらに理解を深めることが出来た
  • 教場で行われる実験。
  • ただ教えるのではないところがポイント。周辺や生きてて?となるところへ解説をしてくれる。
  • 難しくてなかなか理解できないような経済の話も、先生がとてもわかりやすく、親しみやすい話題に置き換えて講義してくださったので楽しんで授業を聞くことができました。
  • 経済学を勉強をするうえで重要な視点を学んだ。
  • 授業が面白くて先生の人柄がいい。学びも多い。
  • 授業内の実験で、わかりやすく実験経済学について学ぶことができた。
  • 双方向のやりとりがあった点
  • 先生は授業のアドバイスのみならず、学生のうちにしておいた方が良いことなど人生へのアドバイスもしてくださった点。
  • 授業中の実験に実際に生徒が参加できる点。
  • 竹内先生が日本社会に対する意見を度々言って下さったこと。
  • 大教室で大人数の講義なのに学生と向き合って「考える」ということについて考えることができた良い授業でした。まだ2年生なので忙しくなる3年生になる前に履修できて本当に良かったです。
  • 竹内先生の考えを知れる点、学生の私たちにはない
  • 楽しくストレスを感じることなく実験経済学を学ぶことができた。
  • 実生活に即した経済学を教えてくれたところ。
  • 興味のある授業を提供してくれた
  • 興味がわく内容
  • 授業内容が興味をそそるもので楽しかった点
  • 実験経済学に関する授業を初めて受けてみましたが、とても分かりやすくかつ面白く教えていただいたため、より実験経済学や経済学そのものに興味が湧き、より学問が好きになりました。
  • 最新の潮流を踏まえ、かつフィールドワークを効果的に実施するアクティブラーニング型授業
  • とても教えることに熱心な方で非常に多くの実験事例を交えて説明して下さり、今まで受けた科目の中で一番面白く、かつ学問的にも興味深い講義だった。特にジェンダーに関する授業が印象に残っている。日本の学生はあまり馴染みがないと思うが、知っておくべき重要な話題だと思う。日本人の男性教授というカテゴリーでジェンダー関連の事情に詳しく、語ることができる先生のお姿に感銘を受けた。学期を通してとても有意義な講義だった。
  • 参加型スタイル
  • 自由度が高いこと
  • 学生と先生の対話があった
  • 生徒に問いかけをして楽しかったです
  • 現実的な経済の話題を扱っていたこと。
  • 学生参加型のゲームを行うなど、主体的に取り組めるようなプログラムが多く、体験しながら学ぶことができた。
  • 実際に実験が行われるのが面白い
  • 実際に教室内の統計を取ったりして、楽しみながら授業に参加できる点
  • ひたすら理論を教わるのではなく、身近でわかりやすいように講義が進められていた。竹内先生の人生経験からの教訓や気づき、メッセージもたくさんあって有意義であった。
  • 理論だけでなく、実際に学生参加型で経済を学べるとところ
  • 生徒が授業に参加する点。
  • 経済学に対する意識を向けること。
  • 経済についての理解を深められる。
  • 合理的経済人の否定という概念に触れることが出来たこと
  • 授業内容を幅広い学生が興味を持てるように工夫されている点。
  • 学生に実際に実験をさせていた点
  • 学生に対して情熱的に講義を行なってくれた。受けていて楽しかったです。
  • 知らないことを知れた。
  • 教授と学生のコミュニケーション
  • 参加しながらの授業で、面白い事例をたくさん用意されていた点
  • 話が面白い
  • 先生は引き出しが豊富で、面白かった。
  • 学ばせてくれる。
  • 経済について楽しく学べる点
  • 行動経済学をわかりやすく説明していただいて、とても興味深ったです。
  • 授業が双方向的であった点
  • 人間がいかに不確かで流されやすい生き物なのかデータとして見ることができて面白かったところ
  • 実験経済学について楽しく学ぶことができる点。
  • 参加型のゲーム実験など経済理論、問題を体験を通して分かりやすく学ぶことができた
  • 興味深い話が盛りだくさんであったこと
  • 経済に関する理論を、わかりやすい実験を用いて視覚的にも理論的にもわかりやすく説明していた。
  • 教員の話す内容がとても興味深く、90分間飽きることなく講義を楽しむことができた。
  • 学びの本質的な部分を知れたことと他の学生の大学生活に対する意見を聞けたこと
  • 学生参加型であること
  • 楽しみながら実験経済学を学べること
  • なんと言っても学生に沿った話し方。共鳴できる。
  • 生徒に寄り添った授業だった。
  • 行動経済学をじっくりと学べる。面白い実験研究を数多く紹介してくれるため、好奇心が湧く。 先生が素晴らしい人。
  • 参加型の授業
  • 竹内教授の授業を受けられたこと自体が最も有意義でした。
  • 授業に関する知識をわかりやすく学生が楽しめるように説明しており、さらに、授業に関すること以外でも様々な知識や知恵、アドバイスがあった。
  • ほんとうにとても楽しかった
  • 経済学を楽しく思えるようになりました。
  • 何より楽しく経済学を学べた点
  • 最後の小テストに解答後の解説があったおかげで、かなり把握できたと思う。また、実験経済学や行動経済学の授業は経済学を身近なものにするうえで非常に役立つと考える。その点この授業は身近に感じさせるような工夫が多く、また発展内容に関しても言及してくれるので非常に有意義であったと思う。
  • 生徒が授業に参加することができる形態
  • 様々な実験や理論をわかりやすい例や面白い話を交えながら説明していたので、とても分かりやすく授業も毎回出席したいと感じられるものであった。
  • 自身を省みることができる点
  • 講義に対して、めんどくさいという印象を抱きにくく、面白く学べるのは学ぶ姿勢を作ることにおいてとても有意義であったと思う。
  • うまい棒ゲームをやってくれた点。
  • 難しい経済学に、フランクな切り口・語り口で触れられるような工夫がなされていた
  • 教授がおもしろく飽きないところ
  • 様々なことに興味を抱くことができる授業に、わかりやすい説明。はては人生についても考えさせられる点。
  • 授業雰囲気が好き。
  • 経済理論と観察される行動との乖離を解消する方法についていくつか学べた
  • 教科書にとらわれない学習
  • 実験に参加するなど体感的に理解できる点
  • 先生が面白すぎる
  • 先生が丁寧に教えてくださった点。
  • 授業中にやる実験
  • 人生において大切なことをたくさん教わりました。
  • 参加型だったのが良かった
  • 経済学が楽しいと思えるきっかけとなったこと
  • 学問を楽しいと感じられる政治経済学部で唯一の授業
  • 試験。
  • 実験経済の概要だけでなく生きていくうえで大事なことを教わることができる。
  • 生徒参加型の授業である点。
  • 学生が興味を持てるように様々なエピソードを交えて講義をする点
  • フィードバックがとても丁寧。
2019年度講義に対して、こんなにたくさんのメッセージをいただけて本当にうれしいです。生涯のこる良い思い出になりました。みなさんもどうかお幸せに。