この改革は「質より量」で待機児童問題に対応すること。政府の借金は返済不可能なレベルで、厳しい財政難。こうした中、他の予算を削ってまで、保育園のための予算を増やすのは難しいでしょう。要するに、今ある保育園の質を下げないかぎり、保育園の量(定員)を増やすのはほぼ不可能です。
私がひっかかるのは、この新システムに賛成する人たちが、「質の議論を避けている」こと。その1点です。
あなたは親として、あるいは子どもを保育園に預ける親だったとしたら、保育の「質」というものに何を期待しますか?
・子どもが何か作っていて、できた瞬間に「ねえ、見て!」と笑顔で目を輝かせる。そのときに保育士さんが「よくできたねー」と褒めてくれること?
・みんなが自由に走りまわって、追いかけっことかをする場所があること?
・お昼ごはんが手作りであること?
これはいまの(公立)保育園が提供している「質の高い保育」だと思います。問題はどれもとてもお金がかかることです。一人ひとりの子どもを保育士さんがゆったり見守れるためには、たくさんの保育士さんを雇用しなくてはならない。自由に走り回る場所も、手作り給食もとにかくお金がかかります。
そして残念なことに、いまの日本社会は、政府だけでなく、多くの有権者も、そのお金を出すつもりはありません。待機児童を減らすために、増税してまで質の高い保育園を増やそうとはしないでしょう。いまの保育園でさえ「贅沢だ」ということです、悲しいですが。
一方で、今議論が進んでいる「子ども・子育て新システム」というのは、要するに、保育士さんの給料を下げて(非常勤や派遣のイメージ)、庭がないオフィスビルでも、園の中で給食を作らなくても、新しい保育園を作れるようにすること。保育の質を少しさげて、いろいろな事業主体が保育園業界に参入できるようにして、保育園の定員(量)を増やすということです。
私はアメリカに8年間暮らし、経済学を学んできました。市場主義と言われるアメリカの素晴らしい点も問題点も見てきました。アメリカの面白いところは、多くのモノが効率化されているおかげで、とても便利ですが、一方で、どれもすごく「チープ」なのです。もちろん、チープでないものもお金さえ払えば買うことができます。質の高い保育も月額30万円近く払えば利用することもできます。そうした保育サービスにはお金がかかるのですから、中流家庭には手が届きません。
効率化そのものは悪くないかもしれません。でも、いま多くの人が想定する質を保ったまま、保育園の定員を増やすのは無理です。質を下げて定員を増やすのが、この改革の本質であるにもかかわらず、改革に賛成する人たちが「改革は『真の公益』」のためであるとか、経営効率化で「質があがる」と美化するのは、私はいやです。
どの水準まで質を低下させていいのか。質の低下を防ぐには何ができるのか、もっと真剣に議論すべきです。経済学者として、「市場」がとても素晴らしい社会制度であることは、誰よりも理解していると自負します。しかし、現実の「市場」に過大な期待をしたり、甘くみる人たちが多いことがいつも心配です。
「みなさん覚悟はいいですか。しっかりつかまって!」と言いたいです。