前回の続き。
博士(Ph.D.、「ピーエイチディー」)になるときの手続きは次の通り。
Course work → preliminary (comprehensive) exam → 3rd year paper → committee → proposal defense → oral defense → doctoral thesis (dissertation).
3rd year paper: コースワークを終えた3年目に論文を1本書くことになっている。3年目だから、日本でいえばD1にあたる段階。このときにそろそろアドバイザー(指導教官)を決めなくてはならない。どの先生に指導教官になってもらうかは、博士課程にあって一番重要なことだ。これは、どんなに強調しても、強調しすぎることができないくらい重要だ。このドラマについてはまたいつか別の機会に書こう。
cognate: コグネイト、大学のポリシーとして専門以外の科目の講義も勉強しなくてはならないことがある。
そういうのをコグネイトっていうんだと思う("関連領域"という意味なんだろうか)。私の場合、経済学部以外の科目として、政治学部の講義をとった。ちょうど蒲島先生(元東京大学教授、現・熊本県知事)がvisitingしていたので、先生の講義を受けることができた。
adviser: アドバイザー。ちゃんと卒業できるか、いい奨学金がとれるか、いい論文が書けるか、論文がちゃんとした学術誌に掲載されるか、いい就職ができるか。最終的には学生本人の責任ではあるけど、アドバイザーによって、これらの結果が全然変わってくる。アドバイザーは、受け持った学生が独り立ちできるまで責任をもって指導するというカルチャーが、程度のちがいはあるだろうけど、そういう暗黙の決まりがある。だから、アドバイザーにとって、卒業見込みのない学生を受け持つのは実は困る。受け持った学生の就職先は、その指導教官の能力(おおげさにいえば業績)を表すこともあるからだ。学生が就職するまで責任もって指導するカルチャーはアカデミア(学者の世界)におけるひとつの"良識"だろう。本当に親身になって導いてくれる先生もいれば、テキトーに放置して学生まかせという先生もいる。前者はまさに「恩師」というイメージ。後者は、ふつうの「上司」みたいなイメージですね、一応やるべきことの指示だけはくれる。私は、このプロセスに時間がかかったなあ。アドバイザーになってもらおうと思っていた1人目が別の大学に行ってしまった。2人目も学部を変わってしまった。最終的に、"恩師"に会えたからよかった。彼女の指導には、いまでも大変感謝! 一生忘れないだろう。
コースワークが終われば、基本的に授業はないです。アドバイザーと定期的に会って(週1回とか、月2回とか)、ひとりでこつこつ勉強することになります。当面のゴールは博士論文(doctoral thesis または dissertation)を完成させることだ。このころからする日々の仕事については、勉強ではなく「研究」といってもいいかもしれない。私はいまだにおこがましいので、研究という言葉は使わずに、勉強とか調べ物とか論文執筆作業と言っていますが。ちなみに、この作業が結構つらくて、みんな困っていた。博士論文の完成を見ずに脱落する人もやっぱり出てくる。
この段階のことを、ABD(エービーディー)ということもあるそうです。all but dissertation の頭文字で、「あとは博士論文だけ」という意味合いだったかな。
(づづく)
下の図(Piled Higher & Deeper by Jorge Chamより)は、アドバイザーがいかに重要かってことをうまく戯画化しているなあ。http://www.phdcomics.com/